主催者談義 小浜逸郎←→佐藤幹夫 往復メール

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 佐藤幹夫  2001/10/29  テロリズムから始まり一般意志へ 佐伯啓思『国家についての考察』をめぐって
 小浜逸郎  2002/1/15  Re:テロリズムから始まり一般意志へ -返信1-
 小浜逸郎  2002/5/10  Re:テロリズムから始まり一般意志へ -返信2-
 佐藤幹夫  2002/11/24  最悪の「戦争」について、ひとつだけ加えておきたいこと

From: 佐藤幹夫
To: 小浜逸郎
Date: 2002/11/24
Subject:

最悪の「戦争」について、ひとつだけ加えておきたいこと
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報道の推移から―ふたつの「24年間」

  以下、家族らの心情を、新聞(産経、朝日、秋田さきがけ―共同通信系列)から抜粋し、私の感想を加えてみたいと思います。(期日は新聞発行日。「 」は記事の引用、)

  • 10月16日・五人帰国。

    「一時帰国した拉致事件の被害者五人全員が家族に対し、日朝間で合意していた二週間の滞在予定を十日間程度に短縮して北朝鮮に帰還していると話している」。「政府関係者によると、五人は、『あくまでも自分の意思』と言いながら、一様に十月下旬の同一日に北朝鮮に戻ることを強く希望していたという。詳しい理由は語っていない」(産経)

  • 10月17日・帰国の五人、死亡とされる他の家族と面会。

    「一緒に北朝鮮赤十字の人に連絡を取りたい」「拉致されてからも『恐怖を感じたことはない』」「(餓死させているという批判に)私は公民ですから、何も話せない」と蓮池薫さん。(朝日)

    「『五人は申し合わせたように、横田夫妻に会いたいと言ってきた。非常に不可解だと思う』と透さん。北朝鮮の意図を感じている。増元さんは『まるでテープレコーダーを聞いているようだった』と憮然とした表情」(朝日)

  これが当初の様子です。彼らがいかに洗脳されているか、と詮索したいのではありません。いや率直に言って、わたしは当初、帰国した人々は北朝鮮のメッセンジャーとして選りすぐられた五人なのではないか、とじつは疑っていました。五人はこれから、北朝鮮がいかによい国であるか、国交の正常化がいかに必要であるかということを、さりげなく言葉の端々に織り交ぜていく。そうした発言を聞かされることになるのではないか、と感じていました。結果としては、日本国政府の決定に従う意志を表明したのですが、しかし家族たちとの次のようなやり取りが報じられます。

  • 10月20日・蓮池さん記者会見

    薫さん(子どもたちは、親が拉致されてきたことはもちろん、日本人であることも知らない。今思春期にあり、そういう子どもたちを急に日本に連れてきたらどうなるか。)(産経より要約)

    透さん(弟の心には二面性があり、揺れている。しかし二週間程度で24年間の考えは変えられない。親をとるか子どもをとるか、苦渋の選択を迫られている。子どもを連れて帰るためにはいったん帰らなくてはと言っている。意志は固い)(産経より要約)

  • 10月21日

    地村保志さん「『なぜ無理にでも(子供三人を)連れて帰らないのか。北朝鮮に言われたのか』と問いただした際、保志さんが『子供のことを考えて残してきた』と答えた。保さんが『あほちゃうか』と怒鳴ると、『そやないんや、父ちゃん。(北朝鮮関係者に)ぼくらは用はないんやといわれたけど、連れて帰っても心配だった』などと説明したという。」(産経)

  • 10月22日

    蓮池薫さんを、兄の透さんや友人らで説得を始め「『とにかく一度子供を連れて帰ってこい。24年前に戻って判断しろ。それでも北朝鮮に行くのなら仕方がない』。透さんも『おまえは被害者なんだ。なぜ北朝鮮を許すのか』」「しかし薫さんは『おれにはおれの24年間がある。おれを洗脳しようというのか』といって最後まで『永住帰国』という言葉は口にしなかった」(秋田さきがけ)

    地村保志さんの父、保さんも「『おまえらは(子供に会えないのは)一週間やろ。父ちゃんは24年間、そういう気持やったんや』。しかし地村さんは『時間がたてば日朝交渉が成立して自由に行き来できるようになる』と永住帰国は考えていないような口ぶりだった」。(同)

    「『おまえたちを帰さないために政府と掛け合ってくる』と言って二十二日午後、上京した保さんに、地村さんは『父ちゃんに任せる』と声をかけた。」「政府は『永住帰国は本人の意思を尊重する』としているが、透さんは同日、支援室の中山恭子内閣官房参与に電話し、「(薫さんは)祖国統一などと言っている人間。本人の意向に関係なく子供を連れてきてほしい」と要請した。(同)

  これらの記事から、帰国してすぐに、家族間における思惑の、深い食い違いが始まっていることが分かります。

  これまで血の滲むような思いで待ち続け、永住帰国は当たり前とする日本の家族たち。ここにあったものを元に戻すだけだ、それのどこがおかしい。まったくその通りです。しかし一方には、その気持ちが分かりながらも、24年という長い時間をかけてつくってきた自分たちの家族への思いがある。それをおいそれと捨てるわけにいかない。これまたよく分かることです。「おれにはおれの24年間がある」という蓮池さんの言葉は、わたしたちをはっとさせるものがあるのですが、「父ちゃんは24年間、そういう気持ちだった」と言う言葉も重い。

  このふたつの「24年間」を、どこかで交錯させなくてはなりません。しかし、ここにはおよそ埋め難い断絶があります。「北朝鮮」という国のもつ意味の決定的な違いです。日本の家族にとっては決して許すことができず、チリ一つの信も置くことはできない。しかしそこで生を営んできた人々にとっては、まったく異なる意味をもつものとなっている。自分を遠くからコントロールする恐怖の対象なのか、「祖国統一」を願い「主体思想」の実現をめざして生きる場なのか、どちらであったとしても、少なくともそこには子どもと夫を残している。そこで二十年間過ごし、十分に生活の根を張り巡らしている。そして、子どもをもうけ、その子どもたちはまったく何も事情を知らされていない。

  つまり、三代の世代のうち、「彼ら」を真ん中に、親と子どものふたつの世代が両極に引き裂かれていて、ふたつの24年間を交錯させることは不可能です。少なくとも、その困難さは限りないものです。

  交錯し、重なるためには、「彼ら」の子どもたちが、父親は拉致されてきた身であり、自分らの祖国がそのようなことをする国であり、そして絶対的信奉者である金正日がどのような人物であるかを認めなくてはならない。これまで信じてきた価値観のすべてを全否定しなくてはならない。そんなことがおいそれと可能であるなどとは、とても思えません。「洗脳を解く逆洗脳が必要だ」などと、例によって軽薄な心理屋たちははしゃぎ始めているようですが、もっと人間の全実存にかかわることのはずです。

  そしてもう一方の「彼ら」の親たちも、自分たちの「理」を通そうとする限り、自分の孫となる人々が、およそ計り知れない「傷」を背負うことになることを認め、引き受けなくてはなりません。その傷を少しでも融和させるためには、たとえば自分たちの「地獄」の24年間が、地獄にいたのは自分たちだけであったと認めるほどの代償を必要とされるかもしれない。それは、親や子の命を奪ったテロリストたちに「赦し」を与えることと同様の、途方もない「赦し」を与えなくてはならないことかもしれません。

  仮に日本に来てともに暮らすことが可能となったとしても、それは政治的には決着を見たことなのかもしれませんが、家族にとっては新しい現実の始まりです。政府や自治体はさまざまな補償を整えるでしょう。それもまた融和への一助となることでしょうが、しかし人間の苦しみは、制度とはまったく別のところにあります。その厳しさは生半可なものではなく、政治的な断絶が、今度は人間的な断絶に代わるかも知れない、そのようなものでしょう。

  これが、「拉致問題」の過酷さです。そしてそれは、普段は隠されているが、「戦争」というような、何よりも国家の意志が最優先されなくてはならない事態に露出する、家族と国家をめぐる問題の本質です。

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