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| 佐藤幹夫 | 2001/10/29 | テロリズムから始まり一般意志へ 佐伯啓思『国家についての考察』をめぐって | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | ||||
| 小浜逸郎 | 2002/1/15 | Re:テロリズムから始まり一般意志へ -返信1- | 1 | 2 | 3 | 4 | |||||||
| 小浜逸郎 | 2002/5/10 | Re:テロリズムから始まり一般意志へ -返信2- | 1 | 2 | 3 | ||||||||
| 佐藤幹夫 | 2002/11/24 | 最悪の「戦争」について、ひとつだけ加えておきたいこと | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | |||
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テロリズムについて 橋爪さんはテロリズムを、戦争や殺人よりも「罪」の大きい殺人であると位置づけたのですが、この最悪の「戦争」には、次のような特色があります。 クラウゼヴィッツは『戦争論』のなかで、「戦争は生ける力を生命のない物質に加えることではない、およそ絶対的受動のようなものは戦争とは言えないだろう。要するに戦争は常に二個の生ける力の衝突である」と書いていますが、テロリズムの卑劣さは、絶対的受動に向けられる暴力であることです。それはなんの前触れもなく、突然襲いかかってきます。一般の市民は、テロの影にたえず怯え続けなければならず、そこで増幅される恐怖は、擬似的な大量殺人をも生み出す可能性をもはらんでいます(ワシントンの連続狙撃事件のように)。双方の被害においても、テロリストたちが自身の生命を賭しているとしても、およそ比較になりません。 クラウゼヴィッツはまたその書のなかで、戦争においては防御が攻撃よりも強力な形式であると再三強調しているのですが、テロリストとの戦争においては、「防御」というもの自体、成り立ちようがありません。敵(テロリストたち)の姿は見えず、したがってテロに対抗する側は先手を取ることができず、つねに後手から戦争が始まらざるを得ないわけです。 したがって姿が見えないゆえに、直接テロリストとの闘いではなく、その後ろ盾になっている(と目される)、「テロ支援国家」との闘いを標榜しなくては、「戦争」の意思を形式化できなくなります。しかしまた、仮に表向き「テロ支援国家」がなくなったとしても、それが必ずしもテロリズムの消滅になるのかどうか。つまりわたしたちは、テロリストとの「戦争」など、そもそも可能なのかという宙吊りの疑心暗鬼や不安を、どうしても抱え込まざるを得なくなります。 そして何よりも、テロリストたちが、一方的な憎悪と怨嗟を激しくもっています。言ってみれば、宗教と民族のぶつかり合う凄まじい近親憎悪に満ちていた地域戦争が、場所と相手とを移し、その憎悪を世界中に撒き散らそうとしているわけです。これまでの世界大戦は、イデオロギーや理念の戦いを擬しながら、あくまでも国益をめぐる衝突だったわけですが、テロリズムとの戦いは、利益を越えた、憎悪と怨嗟のみが前面に出ているという点でも「最悪の戦争」であるといえます。 かつての米ソによる「冷戦」において、「核の抑止力」という理念のもとに、双方が膨大な予算を費やして核開発に血道を上げ、神経戦的様相を呈しました。それは、代理戦争を繰り返しながら、ソ連の経済的困窮によって終結したわけですが、アメリカは今度も、同様の戦略をとっているように見えます。つまり「テロ支援国家」と名指しで恫喝することで、テロリストたちの経済や活動の場を封鎖し、物理的にも精神的にもその消耗を図ろうとしているわけですが、かつて核の競合であったものが、今度は「戦意」の競合になって、神経戦に持ち込もうとしている。このような消耗戦によって旧ソ連は自壊しましたが、テロリズムはどうでしょうか。 裏でどのような駆け引きがあろうとも、表向きでは妥協の余地はないと、たえず対決の姿勢を鮮明にしておかなくてはならず、「新しい戦争」とは、双方の外交努力と「平和的人道的解決」という政治の建前性のまったく閉ざされた戦争であり、戦意を明確にするほど緊張と犠牲が世界規模に広がっていく。いわば毎日が「戦争状態」であり、しかも、この神経戦は明らかに国家や国土を持たないテロリストたちが圧倒的に有利です。まさに不毛な神経戦であり、消耗戦です。
これは、故橋川文三のテロリズムの定義です。「人間存在のもっとも奥深い衝動とひろく結びついた行動」「人間の生衝動そのものに根源的に根ざした行動」「絶対的な自己表現」。まさに人間の情念の、最悪の表現といってよいものです。 戦争は物理的動員力、情報の収集と操作力、そして政治的外交力などの戦略・知略を総動員して、いかに自らの被害を最小にとどめながら遂行し、短期終結を図るか、という国家の「理性的意志」の元に行われるものです。テロリストたちもおそらく、ここにあるものとは別の、テロリストに固有の共同的「理性」をフルに稼動させていることでしょう。しかもその「理性」は、「絶対的根源的な生の衝動」によって支えられながら目的を果たそうとする、そのような最悪の「理性」です。いや、もはや理性だとか情念だとか、そうした区分さえ意味をなさず、橋川文三のように、ただただ「人間の奥深い衝動に根ざした絶対的な自己表現」なのだとだけ言うしかありません。 二〇世紀の世界は、ナチズムとスターリニズムという巨悪を生み出しました。言うまでもなくナチズムによるホロコーストは、優生を誇示する一民族によってあるひとつの民族の絶滅が目指されたものでした。またスターリニズムは、社会主義という政治イデオロギーが狂信的全体主義に堕していくプロセスのなかで、数千万とも言われる粛清の被害者を生み出しました。そしていま、宗教的狂信によるテロリズムに世界は向かいあっているわけです。民族の対立もイデオロギー対立も、いまだ十全な解決を見ているわけではありませんが、世界史的に見るならば、おそらく最後の最大の課題といってよいものです。 このことは、テロリズムが、小浜さんが示された世界理性の最後の表現である「世界連邦国家」と、およそ対極のものであることを告げています。国家を支える情念は、世界規模のテロリズムという最悪の形式を迎えてしまった。しかし理性は、テロリズムへの対抗する手段として、次善のために「最悪の戦争」に対抗する、そのような意志を明らかにする原理しかいまだ持ちえていない。そして次善のための意志とは、善を生み出そうとする「無限の前進」であり、「世界連邦国家」もまた、理性の無限の前進です。常に無限の前進をもってしか、わたしたちはテロリズムに対する意志を示すことができない。 人間のなしうる最悪の行為に対し、次善を生み出すほかない闘いであるという点で、テロリズムとの闘いは「最悪」の戦争であり、そのことを指して、わたしはセカンドワーストの選択であるといったわけです。 |
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