主催者談義 小浜逸郎←→佐藤幹夫 往復メール

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 佐藤幹夫  2001/10/29  テロリズムから始まり一般意志へ 佐伯啓思『国家についての考察』をめぐって
 小浜逸郎  2002/1/15  Re:テロリズムから始まり一般意志へ -返信1-
 小浜逸郎  2002/5/10  Re:テロリズムから始まり一般意志へ -返信2-
 佐藤幹夫  2002/11/24  最悪の「戦争」について、ひとつだけ加えておきたいこと

From: 小浜逸郎
To: 佐藤幹夫
Date: 2002/1/15
Subject:

Re:テロリズムから始まり
一般意志へ
- 返信1 -
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  佐藤さん、いま2002年の1月15日です。佐藤さんから、アメリカのテロ事件と佐伯啓思氏の『国家についての考察』とに関する長いメールをいただいたのが、テロ事件から18日後の2001年10月29日ですから、もうあれから二ヶ月半が経過してしまったことになります。その間、せっかく投げていただいた重いボールに対して何の明確な応答もなさず、ほうっておいたことをまず深くお詫びいたします。

  言わずもがなの弁解を重ねますが、この延滞には、私なりの理由が二つばかりあります。

  一つは、佐藤さんが指摘しているとおり、このテロ事件そのものが、世界史の構造への私たちのまなざしを根底から変える発端となるべき象徴的な事件であったために、人類の未来に対する長い長い射程を、現在の私たちの眼力ではなかなかきちんと視野に収めきれないという感想を、私自身が抱き続けていたためです。よくご存じのように、社会的なできごとに対して言葉を発するということは、発語者自身にとってたいへん残酷な面をもっていて、わずか数年、いや数ヶ月ほどの状況の変化のなかで、どんどん色あせていくという運命を免れません。これを最もよく表しているのが、あの大戦の前後における「知識人」と称する人たちの言説の無惨な成り行きであったことはいうまでもないことです。激情に駆られて口走った言葉ならいざ知らず、いやしくも理性的な態度においてなされることを条件とする社会的な発言にはいつもそれ相応の責任がともないますから(この責任を自覚しない知識人が山ほどあふれていることも周知の事実ですが)、発言者は、よく言えば、あくまでも慎重な態度を、悪く言えば機をうかがう狡猾な態度を身につけることが常に要請されます。「少しじっくり、この事件の意味するところを考えてみよう、日本で暮らしているこのおれが、明日にでもこうしたテロに見舞われる確率はさしあたりかなり低いのだし、また事件の意味が大きければ大きいほど、その考察のために長い時間をかけるだけの値打ちがあるはずだから」というのが、まあ、私のとった基本的な態度です。

  そしてもう一つは、この事件のその後の進展と時期的に重なって、まったく私的なレベルにおいて、私自身が苦しい体験を強いられたということです。これについてはいまここで場所柄をわきまえずに喋々することは差し控えたいと思っていますが、ただ抽象的なかたちにおいて確実に言えることは、佐藤さんの言われる「エロス的な生と社会的存在としての二重性」という人間のあり方が、私の五十数年の短くはない人生においても、2001年の秋ほど私自身の感覚にとってリアルなものとして感じられたことはなかったということです。「こっちはこっちでたいへんなんだ、海の彼方の宗教史的な近親憎悪劇のことなど知ったことか」という態度をとろうと思えばとれなくはなかったのですが、やはりそれはできませんでした。仕事柄というか、物書きの習癖というか、もはや頭と心の間がどうやら興奮反応を引き起こす神経系でつながってしまっているようで、「社会的存在」として否応なく感応してしまう自分を見いださざるを得なかった次第です。ただ、この二重性の感覚は、連合赤軍事件のときとも、湾岸戦争のときとも、オウム事件のときとも違ったニュアンスを帯びたものとして私にやってきました。それは、一言でいえば、前三事件に比べて、「落差を落差として丸ごと抱え込んでしまった」という感覚の明瞭さにおいて際だっていた、ということです。

  前三事件についての私の感覚を、手短に総括してみましょう。

  連合赤軍事件(1972年)の場合は、「自分のしたこと」と「彼らのしたこと」とがまったく無縁とは言えないにもかかわらず、「彼らについていけない自分」という混乱をどう処理するかということが問題でした。いささか格好をつけて言うなら、私が、その後長い間生活に沈潜し、そこから、「自覚的な転向」のヒントを自分なりにつかみ取ったように思えたのは、『オウムと全共闘』(1995年・草思社)などの著作で自分の立場を明らかにしたとおりです。

  また、湾岸戦争(1991年)の場合は、その二年前にベルリンの壁の崩壊があり、また戦争直後には、ソビエト連邦の解体がありました。このときに気になったのは、日本国内の言論などが、少しも国際的な力を持ち得ず、かえって、冷戦構造の終焉が、少なくとも理念的には、日本の「思想の55年体制」の対立構造の根拠そのものを無化してしまったということです。また、一部の「文学者」たちがナイーブに動揺し、戦争反対声明なる愚にもつかない文書を発表したことに、社会音痴たちが相変わらず無意味なことにうつつを抜かしているというひねくれた感想を禁じ得ませんでした。

  ベルリンの壁崩壊、湾岸戦争、ソビエトの解体という一連の事件は、観念的な平和論議などが出る幕ではなく、経済や情報や軍事などの力の世界的水準こそが世界を動かしているという、考えてみれば当然の事実を、日本の知識人たちに苦い認識として突きつけたはずなのです。あれらの一連の事件は、少なくとも、私にとっては、戦後日本の言論界が(いまも相変わらずといえば相変わらずですが)、長い間、敗戦のトラウマと、その後の米ソ関係の枠組みの狭間というフレームにいかに金縛りにされたかたちでその厖大なエネルギーを浪費してきたかということを象徴的に教えてくれるできごとでした。戦後の思想家たちは、右も左もその知力のほとんどを、敗戦の屈辱と悲惨な戦禍への贖罪意識と圧倒的なアメリカの力へのコンプレックスという屈折した情念をいかに言語によって雪ぐかということに注ぎこんだのです。その切実さはもちろん理解できますし、またそこから丸山眞男や吉本隆明や江藤淳のような数少ない個性的な思想家が生まれたことも事実ですが、私が残念だと思うのは、見方によっては世界的な思想を立ち上げる絶好の契機であった「敗戦日本」という状況にあったにも関わらず、上記のフレームにあまりに拘束されたために、社会や国家についての独創的でしかも普遍に通ずる思想がほとんど生まれなかったという事実です。冷戦構造の解体は、私たち自身が今後、こうしたことに絡む社会的発言をなすならば、もうそういうフレームから自由なスタンスで、もっと「普遍言語」につながりうるような思考と表現の方法を模索しなくては思想として意味がないということを痛感させてくれるできごとでした。

  さらに、オウム事件(1995年)の場合は、「豊かな日本」を自明なものとして成長してきた世代が登場し、彼らが、豊かさを自明なものとは感じられずに成長してきた私どもの世代とは違う、独特の「自己根拠のなさと、心の空洞」を抱えているのだということを強く感じさせました。ベルリンの壁崩壊と湾岸戦争とソビエトの解体とによって明らかになったように、特定のイデオロギーを背負った勢力同士の対立をバックにその代理戦争を言論の場で行うことの無意味さの認識は、このアジアの小国の秩序を紊乱させるできごとによって、今度はいわば生活レベルからさらに補強されたのです。あの事件は、戦後日本思想(特に国家秩序の解体理念を心情的なアイデンティティとする左翼や進歩主義のそれ)の無駄働きという負の遺産の存在を完膚無きまでに知らせる効果を示したと、私は考えています。あの事件が露呈させた、空虚感と生きるよりどころの見つけがたさからくる焦燥感などが、長引く不況と相まって、その後もこの国の空気を支配し続けていることは、改めて指摘するまでもありません。

  ただ同時に、あの事件によって喚起された感覚が、ますます私たちに、国民として生きるとは何か、国民国家の秩序と個として生きることとの関係をどのように考えたらよいのかという原理的な課題の重要さを突きつけるきっかけになったこともまた事実です。諸事件によって思い知らされ、深めさせられてきたこの国の負の遺産は、どこかで思想的にきちんと落とし前をつけられなければならない(もちろん、同時に、戦後日本がおかれた状況がさまざまな僥倖として機能し、結果的に平和と安全と豊かさを享受してこられたことは、それとして評価されなくてはなりませんが)。

  さて、そこへ今度のテロ事件です。これは、如上の思想的課題が立ち上がる必然性を、いわばグローバリゼーションという世界史の不可避の流れによって、さらに外側から迫るものでした。私たちは(といっても、この「私たち」には、日本の庶民大衆一般などを含めておりません。あくまでも、物事を思想的に考えようとする役割を持った人は、という限定付きです)、もの、金、人、情報が、かくも地球全域を覆って入り乱れ、国境の存立にたえず疑問符を突きつけてやまない現在の大状況、そしてそれがときには今回のような最悪の事件を可能にしてしまうような大状況の意味するところを、これからの「人間の生」を考えていくために、多かれ少なかれ何らかのかたちで繰り込まざるを得ないでしょう。「落差を落差として丸ごと抱え込んでしまった」という感覚は、思想業などに手を染めている私一個の個人的な感覚にすぎないかもしれませんが、客観世界と実存との距離感がもたらす緊張関係の場から言葉を発することを自分なりにモットーとしてきた私の立場からは、とりあえず、この「落差」の感覚に基づいて考えを提出してみる他はありません。

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