主催者談義 小浜逸郎←→佐藤幹夫 往復メール

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 佐藤幹夫  2001/10/29  テロリズムから始まり一般意志へ 佐伯啓思『国家についての考察』をめぐって
 小浜逸郎  2002/1/15  Re:テロリズムから始まり一般意志へ -返信1-
 小浜逸郎  2002/5/10  Re:テロリズムから始まり一般意志へ -返信2-
 佐藤幹夫  2002/11/24  最悪の「戦争」について、ひとつだけ加えておきたいこと

From: 佐藤幹夫
To: 小浜逸郎
Date: 2001/10/29
Subject:

テロリズムから始まり
一般意志へ

佐伯啓思
『国家についての考察』
をめぐって
Page:1/7
  

1.テロの衝撃

  小浜さん、突如としてアメリカを襲った無差別テロという未曾有の事態は、世界史の新しいページをこじ開けた、という圧倒的な実感とともにこの稿を書き始めています。

  ・・小浜さんから電話をいただいた11日夜、わたしは、すでに眠りの中にいました。テレビを付けるよう言われ、寝惚けまなこで画面を観ると、巨大なビルが炎上しています。その「絵」を見ながら、・・・またテロ事件なのか、被害はどれくらいなんだろう・・・、などとのんびりと考えているわたしに、「飛行機がハイジャックされ、突っ込んだ、オウム事件どころの騒ぎじゃない、世界がひっくり返るかもしれない、いや、確実に変わる」、そう小浜さんは、やや上ずった声で言っていました。

  しかし、わたしの頭は、ただただ眠りのほうへ。「世界が破滅しようとも、わたしに数時間の眠りを」などと、たわけたことを考えているばかりで、おそらく受け答えも、ピントのボケたものに終始していたでことしょう。たぶん小浜さんを、何だこいつは、鈍いやつだ、とおおいに気抜けさせたはずです。一夜明けたら、世界が変わっていたと、よくいわれますが、わたしにとって世界が一変した2001年9月11日は、こうしたとぼけた対応に終始した夜として、記憶されることでしょう。肝心なときに、ちょっとしたタイムラグを起こしてしまう、いかにもわたしらしい世界史的な事件との遭遇でした。

  しかし、翌朝すぐに、たかだか二十人前後のテロリストによって、本当に一瞬にして、世界情勢がひっくり返っているのを知りました。しかも、大型旅客機を破壊的な兵器に変貌させてはいますが、元をただせば、たった一本のナイフによって、アメリカ経済の中枢が、いや世界経済を動かしている中枢が麻痺させられたのです。わたしは朝、出掛けの三十分ほどテレビの前に釘付けになりながら、突然逆上していました。すぐにアツクなるのは、わたしの性癖です。幸い、職場からもどる頃には落ち着きを取り戻していたわけですが、つい数時間前まで、「世界が破滅しようとも、わたしにわずかの眠りを!」というウルトラ「個人主義者」だったわたしは、翌朝には、世界平和を最優先事項とする、怒りの「インターナショナリスト」に変貌していたわけです。

  いま、こうした自身のふたつの極端な反応を、とても興味深く感じています。それは世界に向き合うときの、両極の態度のとり方なのですが、興味深いのはそのことではなく、いまのわたしが、ちょうど中間で、「ウルトラ個人主義者」と「怒りのインターナショナリスト」をつなぐような、そうした実感の中にいることです。

  そのことを、次のように言い換えてもいいでしょう。世界が変わった、まったく新しい世界構造の再編に入ったという感覚が、この「私」という個の感覚と切り離しがたくある、ということ。そして、その切り離しがたさをつないでいるのが、「危機」という身体感覚だということ。つまり世界の「危機」は、「私」という個の危機そのものとしてある。おそらく、激変のときに立ち合った高揚というのは、そのようなものなのでしょう。

  いまわたしは「危機」などというエモーショナルで、きわめて常套的な語を持ち出したわけですが、オウム事件のときにも、わたしたちは決して小さくはない危機感を持たされました。しかし、小浜さんも言われるように、今回の衝撃は比べものになりません。オウム事件は「アサハラ帝国」の叛乱という、いわば内乱の感を呈しかけたわけですが、しかし、アメリカを襲ったテロは、この国もまたいつでもそのターゲットたりうることを目の当たりにさせました。あれほどのことをなしうる組織力が刃を向けてきたら、日本などひとたまりもなく大混乱状態になるでしょう。

  この身が、わたしの家族が、あるいはこの国が危機の只中にある、それがわたしたちの立っている(いや、立たされた)場所のはずであり、「後方支援とはどこまでの範囲か」などと暢気なことを言っている場合ではないと思うのです。しかし、報じられるのは、政治屋たちの相も変らぬ法律の解釈をめぐる「神学論争」です。新聞、テレビを眺めながら、彼らの危機感のなさは、一体何なのだと思う。そしてわたしには、政府の対応も、どうしても場当たり的なものと映るのです。

  このように書けば、お前たちは、『中年男に恋はできるか』などというふざけたタイトルの対談本で、人生はエロスに尽きる、と散々言っていたではないか。何をそんなにお国の危機だと騒いでいるのか、こうしたときこそ、人生のエロスとやらを真っ先に言あげすべきではないか、とそのように揶揄する者が出ることでしょう。小浜さんも同意されると思いますが、むろん、エロスは人生の一大事です。わたしはそのことを疑いません。しかし人はエロスを生きているとともに、社会的存在としても生きている。その二重性は、ときに、人をして大きな相克の前に立たせます。予想される揶揄に対しては、この二重性こそが問題なのであり、そこを見ずして何の思想だ、と返しましょう。

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