過去の講座/書籍刊行情報


設立趣意

  現代の文明社会は、きわめて混沌とした様相を呈しています。古い共同体のきずながゆるみ、個人の自由が大きく認められるようになった反面、人間の自己確立のよりどころが不安定で、集団の秩序や倫理規範が揺らいでいる現象が随所に目立ちます。人々の間に精神的な飢餓感が広がり、対人関係や、どう生きるかを巡って切実な悩みを抱えた人が老若を問わず多く見られます。

  私たちの中にはいま、日々の生をやり過ごしながら、「心とはいったい何だろうか」とか、「生きるに値する生の意味とは何だろうか」とか、「個と社会とのつながりをどのように編み直すべきか」といった原理的な問いに何らかの答えを見いだしたいという欲求が高まっているように思えます。そこで、哲学、心理学、精神医学、社会学、政治学などの各分野で業績を上げてきた、気鋭の思想家、学者のみなさんの専門的な知見を集めて、「人間学」の連続講座を立ち上げることにいたしました。

  それぞれの講師は、この世界をどう読み解くかという基本的な問題意識に対して、オリジナルな視点と認識方法を自前で創り出してきた人ばかりです。また、これら講師陣の講義の全体を通して聴いていただくことによって、「心」や「人間」や「社会」についてのトータルなイメージを獲得していただけるものと確信しております。必ずしも明日の実践にすぐに役立つというたぐいのものではありませんが、日本人の日本語による新しい思想の発信の試みとして、きわめて意義深い事業であるという趣意をくみ取っていただければ幸いです。

2001年8月1日
小浜逸郎・佐藤幹夫

第二期ご挨拶

  2001年10月にスタートした連続講座「人間学アカデミー」第一期は、2002年6月をもって、ご好評のうちに全日程を終えることが出来ました。参加して下さった受講生のみなさん、快く講義を引き受けて下さった講師の方々、また、有形無形の支援を惜しまず提供して下さった麻布学園関係者その他の方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

  第一期では、「心の意味を問い直す」をメインテーマとして、成熟した近代社会における個人の生き方の問題に原理的なヒントを提供することを試みました。それは、次のような問いに答える形で展開されました。「心」はどのような成り立ちになっているのか、言葉とは何か、「国家」はいかなる仕組みによって私たちの生を規定しているのか、私たちの生の意味を支えている時代条件は何であり、それはどんな危うさを内包しているのか、西欧思想によって未だ深く踏み込まれていない領域は何か、そして、これらを考えるに当たって、どんな世界了解の構えを新たに身につけるべきか。

  いずれの講師にも共通していたのは、「生き方」の規範が絶対的なかたちでは成り立たなくなった現代文明社会の状況を前提として、人間論的な基礎概念を根本から編み直すべきだという問題意識の強さでした。

  このことを踏まえて、第二期では、軸足を少し社会的な視点に移し、合理ではけっして割り切れない人間のあり方、法や国家と個人のかかわり、精神医療の実践的問題、現代思想は日常社会的な生とどこで切り結ぶのか、などをテーマとしてみたいと思います。「自分と社会をつなぐもの」と題したゆえんです。

  私ども主催者は、この講座を「人間学」という名でくくることにいささかの自負を込めています。私どもは、いたずらに「知の最先端」を気取るのでもなく、また刹那的な慰安やノウハウを提供するのでもなく、新世紀を生きる人間にとって何が重要かをじっくりと腰を据えて考えていくための、開かれた思想の空間としてこの講座を位置づけたいと思います。それはまた、多様に散乱した今日の個別専門諸科学・諸思想が、どういう手続きを踏めば、再び私たち個々の実存にとって意味のある統一的な像を結ぶのかという問いに対して、常に自覚的であろうとする態度の表現でもあります。よろしくその趣意をおくみ取りいただき、ふるってご参加下さることをお願い申し上げます。

2002年8月1日
小浜逸郎・佐藤幹夫

第三期ご挨拶

  多くの方のサポートによって、思想講座「人間学アカデミー」は、ここに第三期をむかえることができました。第二期までに参加してくださった熱心な受講生のみなさん、講義を快く引き受けてくださった講師の方々、会場運営にご協力くださった麻布学園関係者の方々、当講座についての情報を広めてくださった方々その他に、この場を借りて厚く御礼申し上げます。

  おかげさまで、この講座で行われた講義のほとんどをシリーズ本として出版する企画も着々と進んでおり、現在すでに、橋爪大三郎著『「心」はあるのか』、小浜逸郎著『「恋する身体」の人間学』が、ちくま新書より刊行されております。

  第三期では、第一期のテーマ「心の意味を問い直す」、第二期のテーマ「自分と社会をつなぐもの」をふまえて、「人間はどこまで自由か」をメインテーマといたします。

 「自由」という主題は、私たちの私生活面においても、また、刻々と変動する世界情勢の面においても、現代の生を考えることにとって最も重要なキーワードの意味をもっています。ご承知のように、近代社会は、「すべての人々の自由と平等」を実現することを理念として出発しましたが、いうまでもなくその道は平坦とはとても言えませんでした。そして、経済的な「自由」をそれなりに確保した先進諸国家の住民が、現在、自由感を満喫した生活を送っているかと問えば、これも必ずしも肯うわけにいきません。さらに、国際社会は、よきにつけ悪しきにつけ、「自由」の理念を真正面から掲げる超大国アメリカの動きを抜きにしては語れない傾向をますます強くしています。

  第二期の講座で、何人もの講師の方の口から「自由」という言葉がしばしば発せられましたが、それらは、人間は果たして自由な存在なのかという問いに対する、肯定、否定、懐疑をこもごもに含む、多彩な様相を呈するものでした。そこで今回は、いったい、人間が「自由な存在である」とか「自由であろうとする存在である」という命題が、どういう意味で成り立つのかについて、より具体的に考えを深めてみたいと思います。よろしくその趣意をご理解いただき、ふるってご参加くださるようお願い申し上げます。

2003年7月20日
小浜逸郎・佐藤幹夫

第四期ご挨拶

  2001年10月にスタートした思想講座「人間学アカデミー」は、ここに第四期をむかえることになりました。第三期までに参加してくださった受講生の皆さん、講義を快く引き受けてくださった講師の方々、また有形無形の支援を惜しまず提供してくださった麻布学園関係者その他の方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

  おかげさまで、すでに、第一期の講義をもとにした書物が、ちくま新書より「シリーズ・人間学」として五冊、第二期の講義をもとにした書物が、PHP新書より「人間学アカデミー」シリーズとして二冊刊行されており、今後も続々と刊行される予定です。

  さて、第四期では、「日本人は幸福になれるか」をメインテーマとしたいと思います。いま日本は、マクロな視線で見渡すと、景気の長期停滞、十三億の人口を抱えた中国の急成長、対北朝鮮問題など、さまざまな不安定要因を抱えています。また個人生活の面でも、少子高齢社会にかかわる年金問題、ひきこもり、フリーターなどに見られる若者たちの揺らぎ、未婚、晩婚現象から予想される家族の行方、教育の機能不全、老いを迎える世代の生き方など、不安材料に事欠かないようです。日本はこれから十年先、二十年先、いったいどんな国になっていくのでしょうか。日本人が幸福感をもって生きていくために考えておかなくてはならないことは何でしょうか。

  どうすれば幸福になれるかについては多くの先人たちが論じてきましたが、相変わらず簡単には答のでない難しいテーマであることをやめません。かつて福田恆存は、唯一のあるべき幸福論は不幸にたえる術を伝授するものであるはずだと言い切りましたが、願わくは私たちもまた、この「不幸にたえる術」の一端でもつかみたいものです。

  今期の講座では、気鋭の東洋哲学者、西洋哲学者、社会経済学者、心理学者、社会学者、精神科医の方たちを講師にお招きして、古代先人の智恵、哲学と世間の関係、お金が人間にとって持つ意味、言葉は人を幸せにするか、現代日本の身近な社会現象にどう向き合うかなど、多面的な角度から「幸福」というテーマについて外堀を固めてみたいと思います。どうぞふるってご参加下さるようお願い申し上げます。

2004年7月10日
小浜逸郎

第五期ご挨拶

 2001年にスタートした思想講座「人間学アカデミー」は、ここに第五期を迎えることになりました。第四期までに参加してくださった受講生のみなさん、講義を快く引き受けてくださった講師の方々、また有形無形の支援を惜しまず提供してくださった麻布学園関係者その他の方々にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。講義の新書化も順調に進み、すでに第一期講義をもとにした本がちくま新書より五冊、第二期、第三期講義をもとにした本がPHP新書より三冊刊行されており、今後も続々と刊行される予定です。

 さて第五期では、「生きるための知」をメインテーマとしたいと思います。

 <知>というのはもともと何のためにあったのでしょうか。私たちがよりよく生きていくのに役立つためであったはずです。言葉や情報は、人と人との間を取り持ち、それぞれの生をもっと豊かなものに発展させていく役割を背負っています。ところが、現代文明社会はきわめて複雑高度なものになり、その結果私たちはあまりのほほんと平穏に生きていくわけにはいかなくなりました。情報の洪水に翻弄され、何を適切な知として選択してよいのかわからなくなっています。メディアはスピード競争に明け暮れて深く考えさせる余裕を与えませんし、細分化したアカデミズムは一般の人々の意識とは乖離してその有効性が疑われています。IT社会の到来を手放しで喜んでいいのかどうかにも不安が伴います。教育の世界もかつてないほど混乱しており、後続する世代にうまく文化伝達を果たすことができるかどうかが危ぶまれます。

 また日常生活では、個人間で過剰に繊細な摩擦や葛藤が繰り返されるいっぽうで、多くの人がままならぬ孤独感を深めているように思われます。高齢化を突き進む日本の社会は、私たちの生き方をどのように変えるのでしょうか。

 今期の講座では、以上のような問題意識にもとづき、IT社会の功罪について深い考察を重ねてきた情報学の専門家、ゲイとしてエロス的な実存のあり方を追求してきた作家、現代教育の問題点を鋭く指摘してきた社会学者、西欧近代哲学の有意義性の復活に情熱を燃やす哲学者の方たちをお招きして、<知>と一人一人の生き方とのかかわりについて考えてみたいと思いました。どうぞふるってご参加下さるようお願い申し上げます。

2005年6月
小浜逸郎

第六期ご挨拶

  二〇〇一年にスタートした思想講座「人間学アカデミー」は、ここに第六期を迎えることになりました。このたびは会場を麻布学園からPHP研究所に移し、新しい雰囲気のもとに再出発いたします。第五期までに参加してくださった受講生の皆さん、講義を快く引き受けてくださった講師の方々、また有形無形の支援を惜しまず提供してくださった麻布学園関係者その他の方々に厚く御礼申し上げます。講義の新書化も順調に進み、すでに第一期講義をもとにした本がちくま新書より五冊、第二期から第三期までの講義をもとにした本がPHP新書より四冊刊行されており、今後も続々と刊行される予定です。

  さて第六期では「人はどこまで通じ合えるか」をメインテーマとしたいと思います。

  現代の社会は、ますます複雑高度化しています。グローバリズムの進展によって、国際関係は、政治、経済、人的交流などの面できわめて錯綜したものとなりました。いま私たち日本人は、何らかの形で直接間接にこの大きな状況の変動に影響され、ひとりの社会人としての、また一国民としてのアイデンティティを揺さぶられていると考えられます。

  またインターネットや携帯電話などのコミュニケーションツールは急激に普及しましたが、これらによって、私たちの情報環境は一見便利この上ないものに進化したかのように見えます。しかしこの情報環境の変化が、人と人とが生身で接する生活の場面をより豊かなものにしたかといえば、どうもそうとは言いきれません。しなくてもよいはずの仕事の量は増え、人間関係はどことなくぎすぎすし、ゆっくり考えるゆとりを与えられず、不満やイライラや抑鬱感が募っていると感じられるのは、筆者だけでしょうか。ここらで少し日常時間を支配するスピードと強迫観念から離れ、人と人とが豊かに通じ合える可能性についてじっくりと追究してみる必要がありそうです。

  以上のような趣旨にもとづき、今回の講座では、生物学、行動学、国語学、日本倫理思想史、哲学の各分野でユニークな仕事をしてこられた講師の方たちをお招きして、人間一般の意志疎通性、及び日本人のエートスのあり方などについて考えてみたいと思いました。どうぞふるってご参加下さるようお願い申し上げます。

2006年6月
小浜逸郎