小浜逸郎ライブラリ 小浜逸郎の過去の評論を掲載


掲載紙:毎日新聞
(2006年1月)

人口減少社会の是非

  昨年暮れ、厚生省が人口動態の推計値を公表した。出生数が死亡数を初めて下回り、早くも人口減少時代に突入したことが明らかとなった。論壇は、少子高齢化現象と絡めて、この現象がこれからの社会に与える影響の是非をめぐってにぎわいを見せている。しかし筆者はこの問題にどう切り込んでいいか、正直なところ大いに戸惑っている。

  まず人口減少の影響が顕著にあらわれるという予測と判断は、それが悲観的なものであるにせよ楽観的なものであるにせよ、数十年の時間的スケールを視野に入れた上でなされている。減少カーブは何といっても緩やかなものだ。ところがこの長い時間的スケールの間には、日本社会および日本を取り巻く国際社会の住人たちによる、厖大で多様きわまる経済活動、政治活動、私的活動が、個々の人間たちの心理の複雑な錯綜のもとに進行する。つまりこの時間的スケールのなかには、おそるべき多元的なファクターが詰まっているのに、分析や予測や判断をする私たちの言語のほうには、「これが原因でこういう結果になる」といった一次元的な因果論理の武器しか備わっていないのである。安直な予測・判断などできないはずだ。無理にそれをやると、占いと同じような観を呈してしまう。

  次に、仮に少子高齢化と人口減少による逆ピラミッド構成こそが直近の困った問題であるとしよう。政府その他の公共体は政策実行をしなくてはならない立場だから、若年層の年金負担の不公平感や、経済規模の縮小、労働力の不足などにとりあえず問題を絞ってその対策を練る。高齢者の年金を削減して若年層の負担を軽くする。未婚・晩婚化の趨勢をくい止めるために、保育制度の充実や出産育児にかかわる援助金の捻出をはかる。また男女共同参画をうたって女性の労働力率を高めようとしたり、外国人労働者の積極的な雇用を検討したり、定年制を見直して高齢者の雇用を確保しようとしたりする。

  これらの社会政策の方向性には、合理的あるいはやむを得ないと考えられるものももちろんあるが、今度はその空間的スケールが大きすぎるために、何だか個々の生活者にとってぴんと来ないもの、因果がそうすっきりとは成り立たないと思えるものも含まれている。たとえば未婚・晩婚化阻止・出産奨励のための政策などはその最たるものである。

  いまここに三十五歳で未婚のキャリア女性がいるとしよう。彼女はそれなりに結婚・出産願望を持っている(この想定はマジョリティのあり方として妥当なものである)。さて彼女は、人口減少社会の到来というマクロな情報を得たために、「では、政府が出産や育児の負担削減の措置をとってくれるなら、私も早く相手を見つけて子どもを産もう」などと発想するだろうか。エロス問題は個別的な出会いと意志の問題である。未婚・晩婚化現象は、かつて存在したライフコースの規範が崩れて個人の自由恋愛の意志が一般化したところに起きてきた側面が大きい。いくら育児環境が整っていても、好きでもない人と一緒になろうなどと考える男女がいるとはとうてい思えない。「好きだからこそ結婚する」というモチベーションの強さがかえって理想の空想化を生み、それが未婚・晩婚化をもたらしているのである。「適当なところで手を打つ」人がいなくなってしまったのだ。

「これが原因だから、ここをこうすればこうなる」という政策的な発想が単純に個々の生活者の意識に食い込めないのが巨大な先進国家の宿命だとすれば、いま必要なのは、マクロな趨勢と個々の生活者の意識との乖離をよく見つめること、そして、そもそも人口減少社会の到来が、だれにとって、どういう意味でまずいことなのか(それとも別にまずくないのか)という原点に立ち返った議論にこだわることだろう。その場合、「日本の人口が減ろうと知ったこっちゃない」といった実存感覚をも尊重するのでなくてはならない。