小浜逸郎ライブラリ 小浜逸郎の過去の評論を掲載


掲載誌:望星
(2005年6月号)

藤沢作品に見る諦念の意味

  藤沢周平の武家ものに時折、年寄りの意地っ張りがユーモラスな筆致に載せられて登場する。彼らは石高があまり高くない閑職に着いているか、隠居して息子に家督を譲った身分である。

  著者四十八歳の作品「臍曲がり新左」(『冤罪』新潮文庫所収)では、主人公の治部新左衛門は藩中一の憎まれ者である。会う人ごとに皮肉や嫌みを言うからだが、じつは彼が煙たがられているのはそれだけが理由ではない。周囲の人々の感情のなかには、その怪異な容貌とも相まって、文禄慶長の役から大坂夏の陣に至るまでの輝かしい軍功に対する畏敬と遠慮の念も含まれている。

  新左衛門の側からすれば、戦乱の世が治まってたるんだ時代になり、若い連中や政治に奔走する者たちが武士道精神を失っている状態がいちいち気に食わないのである。往年のいさおしが家禄に反映されないからではない。そういう政治的な権力欲のようなものは、もとより彼には無縁なのだ。いわばただ平和な時代に対する不適応感覚のゆえにのみ臍を曲げてみせる硬骨漢である。

  新左衛門がさしあたり気になって仕方がないのは、軽薄で横着に見える隣家の若い総領・犬飼平四郎が、自分の美貌の娘・葭江とこそこそ睦まじくしている様子である。平四郎は犬飼家の跡取りだし、葭江は婿を取らなくてはならない。そういう掟の矩を踏み越えてきそうな平四郎のちゃらちゃらした態度につねづね苦々しい思いを抱いている。

  あるとき新左衛門は、篠井という若者が城中で興奮し、平四郎に向かって抜刀して斬り合いを迫っている場面に遭遇する。新左衛門は大音声で篠井を震え上がらせてその場を制する。この小事件がきっかけとなり、彼は平四郎からこのいざこざの背景を聞くことになる。おぼろげにわかったところによれば、その根底にあるのは、諸家の娘を藩主に斡旋して閨閥を形成しようとする動きと、それを阻止しようとする対抗勢力との政争である。

  新左衛門には若き日の、文禄の役の時の記憶が怒りとともに甦る。異国の地で飢えて傷ついた農家の少女を十日間ひそかに介抱したのだが、少女はようやく元気になったときに居所を発見されて藩主に提供されてしまう。新左衛門は、その時の自分の逆上の前に立ちはだかって少女の提供に荷担した同僚の加藤図書をいまだに許せないでいる。その加藤はいまや出世して、今度はかつて自分が荷担したのと同じような専横を行う勢力を封じようと画策する側の筆頭に回っており、新左衛門にも仲間に加わるように誘いかける。しかし「臍曲がり新左」はそこにただの醜い権力争いしか読みとらず、言下に加藤の誘いを拒絶する。

  やがて平四郎の妹・佐久がだまされてこの政争の道具にされかかるが、佐久は隙をついて逃げ出し、城門近くで出くわした新左衛門に救われる。委細を知った新左衛門は、娘たちの斡旋を取り仕切る篠井の叔父・篠井右京の屋敷に単身乗り込んで、右京を一刀のもとに切り捨てる。彼は上意討ちを待ち受けるが、平四郎のすばやい進言によって、加藤一派にその実情が知れる。加藤はこれを絶好の機会として、右京一派の失政の証拠を突きつけ、篠井一族を一気に追放に追い込む。新左衛門は平四郎のはたらきによって上意討ちを免れたわけである。ようやく平四郎に対する新左衛門の日頃のひねくれた評価が決定的に変わり、奥で楽しそうにしている二人を娶わせてやろうという気になる。「お似合いのお二人でございますな」という下僕の言葉にも渋面を作って見せながら、用意した篝火を消して闇が訪れたとき、初めて彼は人知れず頬を緩ませる。

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  この作品の主題は、言うまでもなく新左衛門の奥底にある筋金入りの正義感である。しかし、それと時代との折り合いの悪さを、「臍曲がり」という彼のやや滑稽でネガティヴなキャラクターにどこまでも重ね合わせて表現したところに、作者の卓抜な技倆があらわれている。最もおもしろいのは、平四郎に対する否定的な評価が新左衛門のなかで徐々に変化していく描写である。平四郎の一つ一つの言動に対し、新左衛門がその心理や表情や返す言葉を通じて、「むむ、こいつ、思ったより骨のあるやつだ」というようにだんだん納得していく過程が手に取るように描かれている。表向きは最後まで「臍曲がり」を通すのであるが。

  受容しがたい平和ボケの時代に古武士の意地を通そうとして、この主人公の振る舞いは必然的に屈折する。臍曲がりは臍曲がりであることによって、周りからはけっしてまともに相手にしてもらえない。そのことを新左衛門は感知していないわけではない。それどころか、わかりすぎるほどよくわかっているのだ。つまり、ただの剛直ではなくポーズとしての臍曲がりを貫くところに、自分の若いころとは時代は変わったという自己認識がじゅうぶんに繰り込まれているのである。そしてまさにこの自己認識にこそ、彼の老成した諦念がよくあらわされている。

  しかもそればかりではない。新左衛門は、ふだんは政治に何の興味も示さないただの偏屈親爺だが、一朝事あれば武士魂を直情的に発揮する。このキャラクターが現代日本の読者の目にすこぶる魅力的に映るとすれば、それは、私たちの時代にも、いや、私たちの時代にはなおさら「通すべき時には通すべき筋を通す」といった態度が重要なものとして求められるからである。

  諦念はただの投げ出しではなく、また「筋を通す」ことと対立するのではない。新左衛門は、日常の立ち居振る舞いにおいて臍曲がりで敬遠されてはいても、自分の仕事の領分を頑固に守っており、けっしてその性格をしゃしゃり出させた越権行為や迷惑行為には及んでいない。それは「分を知る」生き方であり、人生に対する諦念をよくわきまえた態度である。日頃の臍曲がりの奥に隠された熱い義の情念は、それを発揮するにふさわしいところを得たときにのみ噴出するのだ。

  かつて、戦後民主主義の支配する平和ボケの風潮に我慢がならず、「天皇」という観念にエロスを仮託しついに悲喜劇的な自己演出で命を絶って見せた一人の作家がいたことを、私たちは強く記憶している。彼の振る舞いは、果たして「分を知る」者、「通すべき時に通すべき筋を通す」者のそれだったろうか。彼は武士道を称揚してみせもしたが、それはいささか過剰にロマンティックな称揚だったのではないか。

  ほんとうの武士道というようなものがあるのかどうか私は知らないし、死を賭したこの作家の振る舞いを嗤いとばすつもりはない。しかし、いっぽうは造形された人物、他方は実物という違いはあるにせよ、隠忍自重すべき時には「臍曲がり」程度の表現に自己を収めて、その精神をひそかに温存し続けるほうが、場違いなときに派手に割腹してみせるよりも、「ほんとうの武士道」に少しばかり近いような気がする。

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  もう一つ例を挙げよう。

  著者五六歳の作品「切腹」(『龍を見た男』新潮文庫所収)では、隠居して謡に凝り始めている五七歳の丹羽助太夫が主人公である。彼にはかつての親友でありながら二十年来交際を絶っている榊甚左右衛門がいる。二人とも若いころ道場では「龍虎」と噂されたライバル同士だった。甚左右衛門は義侠心に厚く沈着冷静で手堅く仕事をこなしていくたちで、着実に出世していくが、助太夫は正義感ではひけを取らないものの、どちらかといえばせっかちに反応してしまう直情径行のタイプであるため、家禄は増えず、低い地位に甘んじている。彼は甚左右衛門との間に根のところでどこかそりの合わないものを感じており、囲碁の勝負をめぐるつまらない対立をきっかけに絶好を申し出てそれきりになっている。

  しかし助太夫は甚左右衛門に対する尊敬の念を少しも失ってはいず、また彼の出世に対する嫉妬の念はみじんもない。現に人事一新の機会に甚左右衛門を要職の地位に推薦すべく尽力したことがあり、逆に助太夫が上司と衝突して上意討ちの憂き目に会いそうになったときには、甚左右衛門が単身で助っ人に駆けつけてくれたこともある。武士の友誼を重んじながらも、仲直りにはけっして自分から首を縦に振らない意地っ張りの二人である。 その甚左右衛門が土木工事取り仕切りの失敗の廉で腹を切る羽目になり、あまつさえ不正をはたらいていたという噂を流される。不審に思った助太夫は、葬式にも出席しない代わりに、ことの真相をひそかに探り始める。するとそこに藩財政の逼迫に乗じ担当家老の安斎六兵衛と結託して使途不明金を懐に入れ、さらに藩政に割り込もうとする大商人の姿が浮かび上がる。甚左右衛門は邪魔者として詰め腹を切らされたのである。義憤に駆られた助太夫は、調査資料を集め大目付に具申するが、やる気のなさそうな大目付は証拠がないとして一蹴する。

  憤懣を抱えながら暗い夜道を帰途についたとき、背後から三人の刺客に襲われ、青息吐息になるが、折良く隣家の服部平助が通りかかる。平助は敏速に助太夫に加勢し、二人してどうにか刺客をしとめる。覆面をはいでみると、一人は例の担当家老の腹心の部下である。これで動かぬ証拠をつかんだ助太夫は、平助に頼んで大目付に事情を報告してもらう。やる気がなかったと見えた大目付はすばやく動き、すべての書類を封印し、助太夫と安斎とを対決させてあっさりと安斎を不正の告白に追い込んでしまう。助太夫にまた平凡な隠居の日常がもどってくる。

  隣家の平助は胃弱で、日頃から助太夫は、彼は意気地なしではないかとの軽侮の念をいくらか抱いていた。それゆえ助太夫が急に謡の大声を張り上げ始めたときにも、近所迷惑を気にする女房の以久の諫言にも取り合わなかった。しかし、このことがあってから、謡本を開くことをやめている。「隣家の服部平助には礼物を贈った。そして平助に対して、以前とは違うかすかにはばかる気持が生まれたこともたしかだったが、謡の稽古を怠けているのはそのせいではない。助太夫はただ、何となく以前のようには謡に気が乗らないのだった。」

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  助太夫はなぜ謡の稽古をやめてしまったのだろうか。隠居生活に入ってから、それまであこがれの的だった師匠のもとに通い詰めていたのは、定年で暇になったらこれまでやりたくともできなかった好きなことを追求しようという、あのよくある心境であろう。しかしその心境を変えさせたものが、甚左右衛門の一件であったことは疑いがない。

  それは、ついに仲直りを果たせなかったことに対する後悔の念とは少し違う。ただやはり、人生の大きな分かれ目が些細なことから二人の間に入り込んでしまったその運命の皮肉に対する深い感慨が助太夫の新たな日常心を領して離れないのだ。またそこには、軽侮していた服部平助に対して、人は表層の印象だけで判断してはならず、いざというときの身の処し方を見なくてはわからないものだという人生観の見直しの気持も含まれているだろう。

  以上見てきたように、「臍曲がり新座」の場合も「切腹」の場合も、老いてから巻き込まれた事件を通して、主人公の意地っ張りのかたくなな心がしだいに解きほぐされていく過程が描かれている。しかしそれを解きほぐすものは、事件それ自体ではない。じつは事件に対する主人公自身の感じ方のなかに解きほぐしの力は潜在的にあったのである。そのことは、平四郎に関して固定観念をなかなか崩そうとしない新左衛門の表層意識に対するユーモラスな「自分との闘い」が証明してあまりあるし、永らく絶交状態にあった友人の死に接して積極的に真相を探ろうとする助太夫の、常にない意気込みのうちによく示されている。

  たまたま取り上げた二つの作品で、重要な脇役を演じる隣家の住人の名前に、作者が同じ「平」の字を当てていることも、単なる偶然とは思えない意味深な事実である。じっさい二作の主人公は、隣家の住人のたたずまいに象徴される「平」にそのままなだらかに着地して行くにはいささか激しい気性の持ち主だったのだが、しかしいっぽうでは、「平」に対する単純な対抗心や破壊の情熱に染まりきっていたわけではなく、「平」への尊重の念をどこかで保存してはいたのである。

  藤沢作品のどれにもそれが底流として流れていると言い切ってしまっては、訳知り顔の大げさな物言いになってしまうだろうが、円熟味の豊かな作品群には、どこかにこの「平」に対する尊重の思いが秘められている気がして仕方がない。そして私たちは、そこに、藤沢周平自身の「諦念の思想」の深さと静もりとを読みとることができる。

  情報や競争のスピードに翻弄される現代に、「諦念」や「分を知ること」を普遍的な徳として声高に説くことが適切であるのかどうか、私にはよくわからない。いつの時代にも若い人にとって「ホリエモン」的な進取の気象は、必要でもあるし必然的でもある。経済競争とは関係ないが、はばかりながら耳順に達しようとする私自身のなかにさえ、それに似た気力と野心はまだかなり残っている。それを抑えることはしたくない。ただ、ところを得た情熱の発揮場所を見定めるためにも、諦念や分を知ることがけっこう役に立つのではないかと考えている次第である。