小浜逸郎ライブラリ 小浜逸郎の過去の評論を掲載


掲載誌:SSK Report 101号
(2005年1-2月号)

中学生のセックスについて

  過日、といってももうだいぶ前のことになるが、昼間たまたま見ていたテレビで、東京都が中学生のセックスを禁止する条例を検討中という問題を取り上げて、推進者と反対者の討論というのをやっていた。討論といっても、たったの数分間で、ろくに核心にも迫ることの出来ないお粗末な代物だった。

  推進者はいかにも生真面目なお医者さんで、中学生の性の現場が当事者にとっていかにみじめな結果(望まれない妊娠、堕胎、売買春、性病、合意のないレイプまがいの行為といった事態であろう)を生んでいるかに詳しいらしく、「ここまで来ているのを放置しておいていいのか」という義憤の念から、条例化を強硬に主張していた。かたや反対者は、教育関係のNPOにでもかかわっている人だったろうか(記憶があいまいで申し訳ない)、「ナンセンス」と書かれたフリップを提示したものの、「ではどうすればいいというのか!」と迫る推進者の猛烈な剣幕に押されて、条例で規制しても地下に潜るといったニュアンスのことをしどろもどろに繰り返すのみだった。

  こうした問題に真剣に取り組んでいる人たちには悪いが、この光景を見ていて、私は思わず吹き出してしまった。条例で中学生のセックスを禁止する? いったいどうやってその禁止を守らせるというのか。監督者はのぞき常習犯として逮捕されるおそれはないのか。監督人員をどうやって確保するのか。

  喫煙や飲酒なら、まだ自動販売機の撤去やコンビニでの購買に身分証明書の提示を求めるといった強制的な措置によってある程度までの防止が可能かもしれない。しかし、セックスは秘密の空間と時間が少々あって二つの身体があればどこでも出来る。そして、昔から二次性徴を通過した男女の一部は盛んにイタしてきたのである。光源氏もジュリエットも、今でなら「中学生」。推進者の気持ちは分かるが、私もまたこの反対者の言いたかったこととは関係なく、「ナンセンス」と言いたい。

「ではどうすればいいというのか!」という強圧的な声が私の頭上にも降りかかってきそうだ。ハイハイ、答えましょう。行為(セックス)自体を行為(法的規制)で取り締まろうという発想に立つ限り、どうしようもないですね、と。

  条例推進者たち、論者たちは、問題の立て方を誤っている。セックスを何歳まではしてはいけないかなどを議題にする方向で教育関係者の悩みが解決できるはずがない。そうではなくて、生理的成熟と社会的成熟との間に大きなギャップがあって、しかも禁欲道徳を強いる根拠を持たない現代の自由主義社会では、そのぶんだけ「自己責任」の観念を繰り返し未成年に浸透させるコストを支払わなくてはならないのである。だから、百害あって一利なしの現行の「性知識教育」などは全廃し、その代わり、すでに知識を持っている年齢の少年たちを対象に、自然欲望のままに行動すると結果的に自分がいかに損をするかという教訓をたたき込むしかないのだ。それでも効果は薄いと思うけれど。