台風がたくさん来て、大地震が起きた。被災者の方たちや救済活動に当たられている方たちの辛苦には衷心よりご同情申し上げる。
と書きながら、まことに言いにくいことだが、こういう決まり文句を吐く自分自身にじつはかすかな違和感を覚えている。これから書くことが、多くの人々の誤解を招いてひんしゅくを買うことのないよう祈りたい。
台風が日本列島をまもなく襲うという予想が立てられると、NHKは、ほとんどすべての番組を中止して台風関係の情報ばかりに切り替えられる。これはいわば当然のことで、日本国の「公共放送」を標榜する放送局が「日本人」の生命の安全を守るための情報を最優先させることそれ自体に異存はない。しかし、結果論になるが、こんなに台風の当たり年といわれながら、全国的な大災害をもたらしたというほどのことはなかった。ところがどの時間帯にテレビをつけても、台風による全国各地の状況や気象通報を延々と流し続け、しかもそのときの画面や言語情報は、たいして衝撃的でもなく、ウンザリするほど同じものばかりという印象が強かった。何だか少し騒ぎすぎではないのかな、と感じたのは私だけだろうか。その日こそNHKの他の番組を見ようと前から期待していた人は、残念に感じなかっただろうか。
お前はたまたま安全地帯にいたからそんなのんきなことを言っていられるのだという批判も十分承知の上である。また刻々の気象情報の変化を知ることが不可欠な職務がこの社会にはたくさんある。公務員、教育機関の関係者、交通機関の関係者、流通業者等々。しかし私の頭のはたらきは、たとえば昭和天皇が病に伏したときの過剰な表現自粛路線を連想させて、どうにも居心地が悪い。
十月二三日の上越・新潟地震の折は、どのテレビ局も新聞も数日後に土砂崩れの下から奇跡的に救出された幼児のニュースで持ちきりだった。この地震による死者は数十名に上るにもかかわらず、それらの人々に公平なフォーカスが当てられたとはとても言い難い。しかもこうした自然災害によるある特定場面の報道に厖大なエネルギーと時間が費やされている間にも、全国各地で交通事故死や自殺や殺人事件はふだんと変わらない割合で起きていたはずである。さらに、イラク問題など国際情勢も大切であろう。
私が以上のことで言いたいのは、次の二点である。ひとつは、現在の我が国の情報技術をもってすれば、ある事象にさしあたり直接かかわりのない視聴者のために、もっと多面的な放送の仕方が可能ではないかということ、そしてもうひとつは、あるニュースに特化させる報道の仕方は、それが公共精神にもとづくよりも、仮想された「大衆」の情緒に訴える部分に比重を置きすぎるところに主たる理由があるのではないかということ。
そこで最後に提案である。「公共放送」をもっと多極化させる。たとえば「自然災害情報チャンネル」では、台風、地震、気象状況にかかわる情報や警告を一貫して流し続ける。「国際情報チャンネル」では、大統領選挙やイラク情勢や北朝鮮情報などを専門に扱う。こういうかたちを実現できるような方向にもっと人的、物的コストをかけるべきではないだろうか。