小浜逸郎ライブラリ 小浜逸郎の過去の評論を掲載


掲載紙:宮崎日日新聞
(2004年10月18日付)

天動説的実感も大事?

  今年二月、四月、六月に国立天文台の助教授らが、北海道、長野、福井、大阪、茨城の小学校四〜六年生千人以上を対象に行った調査で、四割が「天動説」を信じているという結果が出たそうである。

  いまの小学校理科の指導要領では地球が丸いことや自転、公転していることさえ扱わない。理数教育関係者や、科学技術関係者は、こんなことで科学技術立国の道を歩みつづけようとしている日本の将来は大丈夫だろうかと、さぞ憂国の念を禁じ得ないにちがいない。私もまた指導内容削減の一途をたどってきたここ十数年の「ゆとり教育」政策の「成果」がこのていたらくかと唖然とする一人である。科学的な基礎知識を国民が共有することが、いかに大切な意味をもつかは、いくら強調してもしすぎることはない。義務教育レベルでの基礎学力徹底が果たされるような指導要領改定を願ってやまない。

  しかし、まずはそういう感想を持ちながらも、他方で、この現象にたいしてうまく言葉にならないある感じをふと抱いた。私たちの生活視線からすれば、太陽が地球の周りを回っていると思うのは、ごく自然な感覚である。コペルニクス以前の人々がそういう世界観を自明のものとしていたように。

  自然科学の方法は、私たちの直接的な生活感覚を超越して、いつも間接的・客観的な視点から物事の構造や原因やしくみを明らかにしようとする。天体現象の場合でも、地球が太陽の周りを回っているというのは、そう教えてもらうのでなければけっして実感できない「間接知」にすぎない。太陽系の構造を構造としてイメージするには、太陽系のはるか遠くからその全体を見つめるという架空の視点を必要とする。

  もちろん自分の身体の位置や実感から離れてこの架空の視点(神的な視点)を持てるというのが、人間の想像力の本質的な特徴といってよいだろう。それを否定したところに、今日の科学の成果はあり得ない。しかし一方で、その視点から見えてくるものだけに依存せず、あくまで実感にこだわるということが大切な意味を持つ場合もあり得るのではないか。

  たとえば精密化した医療検査でも、自覚症状が何もないのに、ここに不穏な影がありますなどと指摘されて、「自分は病人である」という自己了解のなかに半ば無理矢理押し込められることが多い。いままで元気で有意義な活動をしていたのに、病人であると知らされて、不安な闘病生活に関心が集中する。これは幸せなことと言い切れるのだろうか。ケースバイケースだが、不必要に落ち込んで人生が暗くなってしまうということはないのだろうか。よく生きるために健康があるのであって、健康を守るために生きるのではないのである。

  太陽が地球の周りを回っていると思っている子が四割――この素朴さはとりあえず克服されるべきだけれど、それはそれとして、この現象は、近代的な知のあり方が一通り浸透して成果を確立してしまった後の何かを象徴しているのかも知れない。めぐりめぐって中世のような自足的世界像が再び頭をもたげ始める予兆だと見るのは大げさすぎるだろうか。それがいいことか悪いことかまだ判断はできないけれど。