小浜逸郎ライブラリ 小浜逸郎の過去の評論を掲載


掲載誌:文藝春秋四月臨時増刊号
家族の絆
(2002年04月 刊)

「父親」とは理不尽なもの

  一般に「父親」という存在様式は、子どもにそれとして感覚的に承認されることにとって、「母親」に比べると、かなり理不尽なものを背負っているのではないかと思われてならない。というのは、まず第一に男は、女のように十ヶ月の間新しい生命を胎内に宿し、そのあげく「腹を痛めて産む」というプロセスを持てないために、身体的経験から連続した情緒の世界を、母親ほどには子どもと深く共有できないからである。また第二に、外に出て餌を運んでくることをその主たる任務として課せられているために、どうしても子どもと接する機会が少なくなり、幼い子どもにその存在価値を納得させることが難しいからである。

  子どもが家庭内での父親に対してもつイメージは、概して、「存在感の希薄さ」とか、思春期における生理的な反発感といった、ネガティヴなものが多い。外で一生懸命働いて一家を支えているといった父親の「意義」は、あくまで概念的なものであるから、子どもの実感世界には伝わりにくいのである。子どもにとって、父親の苦労がわかるという域に達するには、彼自身が大人の苦労を察することができる年齢に成長するまで待たなくてはならない。つまり、ここには、一種の不可避的な「タイムラグ」があるといえよう。

  じつは、私自身が子ども時代、自分の父親に対して抱いていたイメージがそうだった。私の父は、私が物心ついたころ、すでに齢五十に達しており、今から思えば、だいぶ生活に疲れている様子を見せていた。戦前は大陸で多少羽振りを利かせていたらしいが、敗戦で引き揚げてきてろくな職もない時期が続いたため、相当な挫折感を背負っていたものとみえる。根っからの酒好きの上にこの挫折感が加わったせいか、安酒に溺れ泥酔して帰宅しては、三日とあけずに夫婦げんかの引き金を引いていた。体は小さいが気の強い母は、いったん言い合いになると口では負けない。母に蛮声を張り上げて応じる父を、私は幼心に「母をいじめる悪いやつ」という感じでとらえていて、自分が大人になったら、こんな男にだけはなりたくないと思ったものだった。

  ある時、六、七歳になっていただろうか、私が母に、「お父さんって、別に要らないじゃん」と漏らすと、母は思わず苦笑して、「そんなこと言うもんじゃないよ。お父さんがいなかったら暮らしていけないし、おまえが赤ん坊のころは、あのお父さんも、好きなお酒をやめて、こいつを見てると勇気百倍になると言ってかわいがったんだよ」と諭すように言った。私は、このとき初めて、暮らしというものが金を稼ぐことで成り立っているのだということを知ると同時に、「お母さんは、ふだんあんなにお父さんの悪口を言ってるくせに、何でお父さんをかばうんだろう」と、大人という存在の複雑さに大いに戸惑いを覚えもしたのだった。

  その父も、私が中学三年になる前に、積年の不摂生がたたって、食道癌で死んでしまった。末期のベッドで私は一度だけ、気息奄々たる父の下の世話をしたことがある。そのとき病み衰えた父の身体から出てきたか細い排泄物と、前についた縮こまった「男のもの」とのみすぼらしい印象が、妙に脳裏に焼き付いている。生意気盛りの少年なりに、「これが親父か」と、哀れの情をもよおしたと思える。

  そういうわけで、私には、「厳父」への反抗をもって自立の契機にしたという経験もなければ、「慈父」への尊敬と親愛の情を保存し続けたという覚えもない。後年、自ら親を演じなければならなくなるにおよんで、父親としての未熟さを思い知らされ、その理由を、自分自身の成長期における「父性の不在」に求めないではなかった。だが翻って思うに、私の体験にとりわけ特異な意味づけを施す根拠もなかろう。もし人がそれぞれの父親体験のすべてを偏りなく記憶によみがえらせることができるならば、どこにも純粋な厳父や純粋な慈父など存在し得ないことに容易に気づくはずである。父親に対する子どもの視線は厳しいものだが、父親はそれを過剰に自意識のなかに取り込む必要はない。あの親父もそれなりに苦労していた、と後に子どもに思わせることができれば、もって瞑すべしである。

  現代日本の父親たちは、「よき父親」モデルの在処を探しあぐねて混迷の色を隠さないが、およそ人間のなすこと言うことに、確然たる貫徹の相などあり得ない。まして家族という直接的な生活共同体の内側では、強さも弱さも、美しさも醜さも、すべては入り混じったままにさらけ出される。


  むろん、だからといってモデルが要らないということにはならない。私たち男は、いったん父親になったからにはできるだけ「よき父親」たるべきだ。しかし無理をして「厳父」を演じれば、子どもはやがてそのうそ臭さを見抜くだろうし、また無理をして「慈父」を演じれば、子どもはやがてその卑屈さに愛想をつかすだろう。

  父性というものは、母性が情緒的に傾く必然をもっているのに対して、どうしても、より倫理的たらざるを得ない面をもっている。それは、いわば「後から加わるもの」の宿命である。大事なことは、何らかの一方的なモデルに性急に身を寄せることではなく、私的生活をきちんと演じることの難しさを自覚することだ。とりわけこの場合には、父親というあり方がはらむ一種独特な理不尽さをよく理解することが必要である。「子どもにわかってもらえる」状態に到達するには、もしかすると自分が生きているうちには巡り合えないほど長い時間がかかるかもしれないこと、また、親が誠意を尽くしてやったことのよき報いは、「親孝行」のような明示的なかたちであらわれるなどとけっして期待してはならないこと、すべからく父親たる者、これらを覚悟すべきであろう。