たいへんな力作である。著者のモチーフを大胆に二つの軸で整理してみる。
一つは戦後思想、戦後体制が、なぜ国家を正面から論ずるのをタブーにしてきたか、その歪みの様相と原因を、敗戦・占領期に形作られた構図にまでさかのぼって徹底的に検証すること。ここでは、反体制、反国家主義が思想の「体制」として主流を占めるという戦後社会の奇妙な逆説の由来がえぐり出される。
もう一つは、グローバリズムや個の原理(人権、自由、平等)が当然のように唱えられる今日の日本社会においてこそ、個人や集団が現実的に生きる関係としての「国家」像を根本から再構築する必要があると訴えること。そして、自らそれを提出してみせること。 私たちは、国家が個人に対立し「自由な個人」を外部から制約するものという「戦後」的国家観念にならされてきた。他方、この西欧渡来の日本バージョンとしての進歩主義的国家観の偏向と浅薄を批判する保守思想がこれまでなかったわけではない。だがややもすればそれらは、感情的な道徳主義や伝統主義によってのみ支えられてきたために、大道をまかり通る戦後進歩主義への「カウンター」的な機能をしか持ち得なかった。著者の独創は、この弱点を、あくまで洗練された常識と理性の手続きによって克服している点にある。
とりわけ圧巻なのは、ホッブズ、ロック、ルソーを系譜とする西欧近代の契約論的な国家観の根拠と有効範囲を突き止め、これに歴史的、文化的な国家観を対置しつつ、両者をどの近代国家もが備えるべき二側面とした上で、これからの国家像の創出への布石を敷いている部分である。私たちはここに、長く続いた「思想の五五年体制」を力強くアウフヘーベンしようとする頼もしい姿を認めることができる。冷戦構造の解体という歴史的現実の意味が正しく反映されており、この十年が無駄ではなかったという感慨を抱かせる名著である。