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掲載誌:正論
(2001年08月号)

「丸山眞男をどう読むか」
長谷川宏 著
講談社 刊

書評「丸山眞男をどう読むか」長谷川宏 著

  戦後民主主義思想の代表者と目される丸山眞男の仕事を丁寧に追いかけ、その意義をじっくりと確かめながら、彼の体質的な限界ともいうべきものを指摘した本である。ヘーゲルの画期的な新訳の訳者として名高い著者長谷川宏氏は、安保世代に属している。若い頃丸山の思想に深い影響を受けた一人として、この思想家をどう相対化するかが積年の課題だったようで、その思いが行間からよく伝わってくる。

  長谷川氏は、丸山の著作のなかに、近世から現代に至る日本の政治や社会の構造を分析する鋭い方法意識と、自由な近代的主体の成立のために普遍的な理念の必要を強く訴える政治実践的関心とを認める。しかし著者は一方で、丸山が民衆の生活に対して拭いがたい違和感を抱えていて、それが彼の知の方向を一般大衆から閉ざしてしまう作用をもたらしていると再三指摘している。この点が丸山思想の体質を言い当てていて、私にはおもしろかった。丸山の思想生活にとって大きな意味を持ったのは軍隊体験と安保体験であるが、前者は彼に嫌悪感しかもたらさず、それが、日本軍の兵卒たちの行動を天皇制の上からの抑圧の移譲という一種機械的・合理的な把握でしか捉ええなかった点に反映されているとされ、また後者は、民衆の意識を普遍的な思想や理念に向かって引き上げようとすることにのみ注がれた、とされる。「軍隊経験がその思想を民衆の生活に近づける契機とはならなかったように、安保闘争という政治経験も、丸山眞男の思想と表現を民衆の生活に近づける契機とはならなかったようである。」

  もともと丸山の日本ファシズム分析は、「あらゆる制約から自立した自由な個人」という西欧の近代社会の原理(と丸山が見なしたもの)を模範として、その模範から日本の現実がいかに遠いかを比較検討するという方法によって成り立っている。長谷川氏は、この丸山の方法をとりあえず肯定した上で、しかし丸山には、日本の知的エリート層が自立した自由な主体たりえなかったのはなぜかという問題意識が希薄であったとする。

  結局長谷川氏の丸山批判の要諦は、丸山がエリートと民衆との距離感覚を自覚的に繰り込もうとしなかったという点にあるようだ。