現代社会を読み解く試みには、固有の困難が伴う。その困難は、読み解く主体自身が、時代の渦のなかに巻き込まれているために、何がほんとうに問題なのかがよく見えないこと、読み解くための方法に読み解く主体の価値観が無意識のうちに張りついてしまうことなどに由来している。この本は、オウム事件、エヴァンゲリオン、援助交際問題、酒鬼薔薇事件、ナイフ事件などを素材に、社会学者・大澤真幸が、精神科医の町澤静夫と香山リカとの間で対論を試みたもの。全体としては、三人とも現代の輪郭を描こうと誠実な努力を傾注しているが、右に述べた困難に突き当たって考えあぐねているという印象である。
大澤は、現代の若者たちの心は甲羅を持たないために直接的な関係を恐れるが、単に孤独にこもるのではなく、電子的なツールなどによって外側とつながろうとする二重性の構造を持つと分析し、かつての若者は何らかの具体的な「欠如」を抱えていたが、今の若者は、欠如のないこと自体を欠如としているという。また町澤は、セックスという「肉体的なもの」の自由と、恋愛という「精神的なもの」の不可能との裏腹な関係を強調する。さらに香山は、一連の事象を連続的にみることへの戸惑い、「本当の自分」を求める若者の傾向に対する危惧、過去への個人的郷愁や外国コンプレックスに頼る考え方への疑問などを率直に告白している。それぞれに現在をよく映した把握である。
結局「解放されすぎている世界でもなければ、厳格な規律に支配された世界でもない。そのどちらをもすり抜けるような解を見つけなければいけない」という大澤の指摘が、妥当な結論ということになろう。評者も賛成だが、それならもうだいたいこれでいきついてしまったのではないかという気もしてくる。「深さ」の喪失。だがわれわれはそもそもそれを不幸と感じる感性を保存しているのだろうか。大澤のひそみにならうなら、「問題のつかみ方の困難自体が問題」という現代のあり方をよく示してくれる本である。