小浜逸郎ライブラリ 小浜逸郎の過去の評論を掲載


掲載紙:北海道新聞
「批評指標」欄
(1998年9月11日付)

しつけ“悪玉論”に違和感 親への恨み

  少し旧(ふる)い話になって恐縮だが、昨年「日本一短い『母』への手紙」のパロディーとして、「日本一醜い親への手紙」という本が出版され、さらに今年の四月に続編「もう家には帰らない」という本が出版された(二冊ともメディアワークス発行)。これは合計二百篇(へん)以上の一般市民の投稿で成り立っていて、自分が子どものときに親からどんなひどい仕打ちにあったかを訴えた本である。もし本当なら、なるほど相当ひどいという例が多い。しかし私は、これをプロデュースしたライターが続編の後書きでつぎのように書いているのにとても違和感をもった。「本書では何でもない日常にひそむ『親による抑圧』のシーンを描いたものを優先的に選び、親が子供にもたらしたものを検証することに努めた。(中略)どんな親でも当たり前のように施しているしつけや教育が、日常の延長線上で子どもの心身を壊してしまう証拠を、ハッキリと提示できたと思う」

  私は「証拠をハッキリと提示できた」とは少しも思わない。投稿に書かれたことがどこまで本当かわからないし、百歩ゆずってこれらがすべて心情の真実を表現したものと仮定しても、その数は限定されているしワンサイドの訴えである。また当人たちも、恨みを吐きだしたことで心境の変化を経験するかもしれない。ハッキリしたのは、せいぜい家族関係というのはきわめて厄介なものだということぐらいである。もし本当に「どんな親でも当たり前のように施しているしつけや教育が、日常の延長線上で子どもの心身を壊してしまう」ことが一般的に成り立つなら、親はいったいどうすればよいのか。親であることをやめる以外に方法がなくなってしまう。人間の子どもは壊れやすい繊細な生き物だから、できるだけこまやかな愛情と配慮と、時には適度な突き放しが必要だと結論するなら分かるが、右のような言い方に話を還元したとたん、誤った人権イデオロギーに転落する。