小浜逸郎ライブラリ 小浜逸郎の過去の評論を掲載


掲載紙:北海道新聞
「批評指標」欄
(1998年7月17日付)

社会的な個の意義強調 小林よしのりの「戦争論」

  小林よしのりの力作「戦争論」を読んだ。トーンは「大東亜戦争肯定論」みたいだが、要するにこの作品の主眼は、戦争の時代の気風を、現在の「規範なき個人主義」の氾濫の風潮と対比することで、社会的存在としての個の意義を読者に強く訴えるところにある。

  戦無世代が戦争について語ると、かえって単純なイデオロジストに落ち込みやすいが、小林は膨大な情報と想像力を駆使して多面的な角度から追いかけることによって、この危険によく耐えている。ことに「大東亜戦争」が一方的に日本の悪(あ)しき侵略とは言い切れない面をもつこと、日本以外のどの民族も残虐さや差別意識においてまさるとも劣らないこと、敗戦後、民衆やマスコミがそれまでの戦争賛美から手のひらを返したように「軍部にだまされていた」と言い出した事実に対して、「信じることを決断した自分はいないのか」と鋭く迫っていること、戦争体験も体験者の性格や立場や情況によって全く異なる様を具体的に描いていることなどは、高く評価されてよい。

  しかし小林が、今の社会の「規範溶解」現象に対するいらだちから、これに、国家という「公」のために「個」をささげた特攻隊員の生を対比させているのは納得できない。この美意識的な抽象による比較は、当時の切迫した気風と今の弛緩(しかん)した気風との差異には歴史的社会的な必然があることを見えにくくさせるし、また、特攻隊や戦艦大和の出陣などの無謀な作戦を決行するまでに至った日本国家の外交戦略、軍事戦略の、合理的見地よりみての愚劣さ、だらしなさを押し隠すことになる。特攻隊は家族や郷土を守るために結成されたのではなく、国家が失敗を早く認めずにずるずる引き延ばしたために生まれたのである。国家は家族や郷土よりはるかに超越的な水準にある共同性だから、運営の仕方ひとつで、家族や郷土の利益と背反することがいくらでもありうる。特攻隊や大和はその好例であることを忘れてはならない。