「失楽園」ブームで、著作は上下で二百万部に達したという。もともとベストセラーなど意識的に避けるほうなのだが、著者・渡辺淳一がある雑誌で述べた恋愛観に興味を引かれた。不倫や恋愛をテーマにした文学は数限りなくあるが、思想的に本気で考えてみようとした試みは以外に少ない。勉強になるかと思って読んでみたが結果的に失望した。
この作品が受けている最大の理由は、有能だった五十代の編集者が役員一歩手前で左遷されたことではじめて人間的な生き方に目覚めるという設定が、中高年男性の「身につまされる思い」をかきたてたからだろう。
しかし残念ながら、文学としては低い評価しか与えられない。一年半にわたる不倫生活は、はじめから終わりまで「肉の交わりの美しさ」に終始していて、カップルの間に迷いや不安や争いが生じた形跡がまったくない。また、双方の連れ合いとの間に生じたはずの泥沼的葛藤(かっとう)をきちんと書き込むだけの複眼的視点も見られない。逢瀬(おうせ)の舞台も陳腐で、せりふまわしや地の文に頻出する「性愛学講釈」の啓もう性も鼻につく。性描写だけはうんざりするほど具体的だが、実はこれは本当の意味で具体的なのではなく、生の全体性から行為としての性愛だけを抽象した方法の単純さによっている。
要するに「関係としての人間」が描けていないのである。娯楽読み物だからと甘い点をつけるとしたら、私たち鑑賞者自身の批評眼をおとしめることになるのではないか。