小浜逸郎ライブラリ 小浜逸郎の過去の評論を掲載


未発表
(1996年6月2日 執筆)

朝日新聞書評欄
「売れてる秘密」用に
寄稿するも掲載されず

書評「恢復する家族」「ゆるやかな絆」ともに大江健三郎 著

  最近『ソフィーの世界』『知の技法』など、文字通り「売れてる秘密」がよくわからない本が多い。いずれも読みこなすのに相当の労力を要し、しかも「だれが読んでも面白い」とはお世辞にもいえない。いや、それらは内容よりも周囲の状況によって売れているのだと考えれば、ある意味で「秘密」が透けて見えすぎるともいえる。「売れてる」ことは必ずしも「読まれてる」ことと同じではない。大江健三郎のこの二つのエッセイ集もその部類に属すると思わざるをえない。

  知的障害のある息子を抱えたノーベル賞受賞作家、しかもほぼ同時期にその息子が作曲家としての自立を華々しく伝えられたとあってみれば、だれでもその生活と文学の苦闘ぶりを作家自身の口からききたいと思う。それはそれでいいのだが、問題は中身がそうした関心に答えているかどうかである。私には、この著者の、修飾の関係がおそろしくつかみがたい「直訳」調や、やたらダッシュを多用して文章の自然な流れを混乱させる文体が、この種のエッセイに適合しているとはとても思えなかった。また自分の家族生活を思想化したいと思うなら、もっと個々の家族成員の具体的な苦労やそれにまつわる複雑な思いだけを描くことに徹してそれを深めてほしいと思うのだが、全編を支配しているのは、一般読者になじみのない外国の文学者とのつき合い話や難解な詩編への我流解釈と思い入れにあらわれるぬぐいがたいインテリ臭である。さすがに著者自身の含蓄ある感慨が所々に顔を出しているし、ゆかり夫人のスケッチ群もとても好ましいものだが、これらもそのせっかくの値打ちをそがれてしまっているように思える。

  表現が表現の力自体によって「読まれる」のでなくそれを取り巻く外的条件によって「売れる」にすぎないのだとしたら、そこに象徴されているのは、わが国の現在の文化的貧困である。出版戦略に釣られてうかうかと手を出す読者こそ問題ではないか。