小浜逸郎ライブラリ 小浜逸郎の過去の評論を掲載


掲載紙:産経新聞
(1992年9月1日付)

「誰が学校を殺したか」
夏木智 著
JICC出版局 刊
1650円

書評「誰が学校を殺したか」夏木智 著

  F・ベーコンは、正しい知識習得の妨げとなる四つのイドラ(幻影)を指摘した。人間の本性に基づく種族のイドラ、個人に特有の誤謬である洞窟のイドラ、言語の混乱に起因する市場のイドラ、哲学的独断から来る劇場のイドラ。

  さて、教育や学校をめぐる人々の観念や言論の世界ほど、この四つのイドラが見事に役割を果たしている世界はあるまい。そこからなるべく自由になるには、そのようなイドラに支配されてしまいやすい条件と理由を、教育や学校というものの具体的な特性に即して徹底的に考えることと、一つ一つのイドラがまさしくイドラであるゆえんを、問答法ふうに問い詰めてゆくことである。この本の著者が試みているのは、どちらかといえば後者である。

  まず、一般社会が押しつける教師観の自分勝手さ、教師の望ましい資質とは何かが議論されないままの教師の資質向上論議のむなしさが指摘される。次に、教育実践の記録なるものが人々を幻惑するその秘密が、かなり底意地の悪い視線によって暴かれている。さらに、選別、学歴偏重、偏差値などの、とかく批判の風当たりの強い現行教育の制度的なあらわれが、実はすべて批判者自身も含めた関係者たちのエゴイズムの引っ張り合いから生じてきている理屈が説かれている。

  あることを要求するなら、それに見合ったコストをひとりひとりが支払うべきだという最低限の市民感覚の強調に著者の力点があり、筆者もこの当然の理屈に同意する。当然が通らないのが教育界の奇怪なところなので、そこにこの本の存在意義があるといえるだろう。しかし、論争上の舞台を自前で設定しすぎているきらいがあり、そのために詰め将棋的な面白さはあるものの、設定された「仮想敵」が時としてリアリティーに欠け、その分だけ、著者自身の思想的闘いのスタンスが抽象的なものとなっているのが気になった。