現象学的社会原理 社会思想と現象学 3回目
(1) 近現代の「社会学」の概要
- マルクス主義 →階級対立という構造 (主と奴隷の弁証法)
- 近代社会学 コント・デュルケム・ジンメル・ヴェーバー
デュルケムとジンメルの現代社会の矛盾と悲惨
ヴェーバーの理解社会学 →「合理性」概念
- 批判社会学 アドルノ・ホルクハイマー ハーバーマス
「啓蒙の弁証法」(反近代)
「対話的理性」「妥当要求」「理想的発話状況」
- 構造主義社会学 アルチュセール・フーコー
「不可視の権力と構造」
- 機能主義社会学 パーソンズ・ルーマン他
「社会学構造モデル」
- アメリカ政治社会学 ハイエク・ロールズ・ノージック・マッキンタイア
社会的「正義」の公準
*二つの大きなモチーフ
- 社会変革の考え方
→なぜ社会は変革されえないのか → 「制度」と「構造」
- 社会実証主義
→社会をどのような「構造」として捉えるか? 構造のモデル
→諸前提の混乱と曖昧化。「反資本主義」はどこに向かうべきか
(2) 近代哲学における「近代社会」の構成原理
- 政治統治の必然性の原理 →ホッブス「万人の万人にたいする闘い」
- 「政治社会」の本質の発見と「近代社会」の原理 「社会契約」説
- 「統治の正当性」の原理 →ルソーの「一般意志」
- カントの「自由」とヘーゲルの「相互承認」
(3) 近代哲学が示している社会「原理」
- あらゆる「社会」は、暗黙・明約的「合意」による形成体であること。
- いったんこの自覚が生じると、政治統治の正当性は、社会のすべての成員を対等なメンバーシップとする考え(「自由な個人」とその集合的約定による権威の創出)に定位され、そして不可逆的なものとなる、ということ。
- この理念に達するやいなや、「社会」の根本的な基礎原理は、「自由の相互承認」という概念に集約されること。
★ ヘーゲル『精神現象学』が近代社会の本質として表示していたこと。
- 人間の欲望本質論
→「自己意識の欲望」「自己価値の欲望」「他者との承認関係」「人間的欲望の社会的と関係的本質」
「欲望の超越性」→「絶対本質」(普遍的なほんとう)
- 「近代社会」の本質論
「社会」は「個人の自由の相互承認」にもとづく「普遍的承認ゲーム」
「自由の相互承認」は単なるルール関係ではなく、「人間関係の本質」を「市民社会」を通して展開し、深化させてゆく。
*「自由の相互承認」という原理は、近代社会の重要な諸概念を決定的に規定する。
- 第一に、近代社会の「政治概念の本質」を完全に変容する。政治権威と権力の「正当性の源泉」は、どのような「聖なるもの」「超越的なもの」でもなく、自由を承認しあうかぎりでの「自由な個人」へと置き移される。
- 第二に、「社会倫理の本質」を完全に変容する。伝統的な社会倫理の本質は、共同体的秩序と階序の安定と維持ということ。近代社会における社会倫理の本質は、ハーバーマス的「社会関係の合理性」の概念、その妥当性および正当性に対する信憑にある。この社会的合理性の信憑の基礎をなすのは「自由の相互承認」の感覚。「公共性」の概念。
- 第三に、「個人倫理の本質」も完全に変化する。旧世界では、個人倫理の本質は、「超越的な聖なるもの」およびそれに由来する共同体的階序関係、役割関係への「信」と「篤実」にあった。近代社会では、個人倫理の本質は、自己自身を「普遍的なほんとう」(絶対本質)へと目がける実存的自己配慮。(ヘーゲルの「良心」)
- 第四に、「自由の相互承認」という近代社会の関係本質の規定は、「人間の存在意味の本質」を決定的に変化させる。近代社会では、人間は固定的な役割関係における存在本質であることを脱して、自分自身の存在を「人格」として“表現”しあう存在となる。このことを通して人間は、互いの「存在配慮」を表現しあい了解しあうことで、関係世界を絶えず刷新してゆく実存存在となる。これは人間関係の「関係的本来性」の概念を導く。
→ただし、現在の現実社会では、まだ十分にそうである条件は存在しない。しかし相互承認的ルールゲーム社会である「市民社会」だけが、その潜在的可能性をもっている。
(4)「自由の相互承認」の概念の、社会学的転移
★近代社会の基礎原理
- 「階序原理」と「承認原理」の背反性
→「社会的集合性」の原理は、「階序的原理」か「相互承認的原理」しか存在しえないこと。「近代社会」は「相互承認原理」の社会であること。
- 「相互承認社会」における「理想理念」の不可能性
「相互承認」原理の社会では、「絶対平等」(絶対自由を含む)理念は成立せず、また「理想理念」一般が成立しないこと。ここでは「ルールゲーム」原理だけが唯一の可能性。
- 「ルールゲーム」と「権力」原理
「ルールゲーム」原理による社会は、自由競争社会であるが、ルールが成員全体の合意によってつねに調整されることを「正当性」の根拠とする。ルールによる「競争」の本質は、実力(暴力)によらず一切をルールによって調整すること。しかしルールの権限性それ自体は、最終的には「実力」によってのみ担保されること。ここにのみ「権力」の正当性があること。
- 「近代社会」は「実存の可能性の条件」である。
「自由の相互承認」を原理とした近代社会は、個々人にとっては、その自由な実存的「自己配慮」「存在配慮」の可能性の基本条件であること。近代社会だけが、この条件を与えうるということ。そこには功罪両面があるが、不可逆的。
- 「ルールゲーム」原理を本質とする「社会」の基本的公準。
- 既成の諸身分的差別の撤廃
- 階層構造の流動性
- 競争の初期条件の均等性
- 諸「ゲーム」の可能性(多様性) →敗者復活と資質の多面性の開発
- 「生計のためのゲーム」に対する「文化ゲーム」の配分比率を高めること
「必然性のゲーム」と「自由のゲーム」
★近代社会の問題点 上のような「近代社会」原理が、疎外されている諸原因
- 「自由」の解放と配分が、「富の適切な配分」に結びついていない。
「経済ルールの制御」についての原理が確立されていない。
政治支配と経済支配の癒着構造
- 「一国家」の「ルール」社会原則は、「国家間競合」の事実によって、つねに疎外され る。「近代社会」の「自由の相互承認」原理は、国家間の可能な原理へと転化されてい ない。「資本主義」(自由競争)のルール化の原理は、「国家間ルール」の確立に比例し てのみ可能となる。
- 「国家間」ルールの確立は、一定の生活水準に到達した「先進国」による同盟と調整によってのみ可能となる。先進国どうしでイデオロギー対立が存在するかぎり、このことは不可能。(→カトリックとプロテスタントのイデオロギー対立が克服できないかぎり、「近代社会」原理は現われえなかったのと同様)
- 「資本主義」の本質は「信用」経済にあり、自然的には、基本的に競争原理を拡大する本性をもつ。「資本主義」の競争拡大的原理を制御する原理を、「相互承認」の原理から導くこと。→ニューディール政策は、その一例。
「社会主義」原理はその一案だが、「自由の相互承認」の原理と背反する。変奏の必要あり。
*(参考)現在、「経済」行為の「単位」は「個人」ではなく「家計」。経済行為の「主体」は「家計」ではなく「企業」にある。ここには、「ルールゲーム」社会としての近代社会の本質的ねじれがある。「国家社会」のルール原理は「自由の相互承認」。経済ゲームとしての社会の原理は、「専制体」の競合。
社会の成員の総体的な合意(一般意志)が、経済ゲームのルールに反映されるためには、「企業」原理が変わらなければならない。「企業」が「市民社会」となること。
- 「現代資本主義的膠着」の概念 その諸要素
- 「拡大的資本主義ルール」の確定の膠着
→「国家間」協調の不確定 イデオロギー
→資本主義の不安定
- 「国民国家」から「市民国家」への成熟の膠着
→「国家間」競合 資本主義の不安定
- 「南北格差」問題の膠着
→先進国の協調と合意
★第三回の結論
- 「近代社会」は人類社会が、個々人の「自由」の解放とその「相互承認」へと方向づけられた根本的転換点。
- 「近代社会」は、社会構造の激変の時代であり、ヨーロッパによって先発され、多くの矛盾を生み出した。しかし「近代社会」の基本原理は、不可逆的であり、逆行させるべきでない。
- 「近代社会」は、おそるべく長い列車。先端部は「自由」をもてあまし、最後尾は基礎的自由どころか、生活の最低条件すら欠いている。にもかかわらず、列車は前へ進む以外に原理がない。できうるかぎり矛盾の少ないやりかたで、そのかぎりでできるだけ短いスパンでこの列車の長い列を縮減することが、近代社会の今後の第一の公準。
この規準のために必要なのは、先進国間の世界史的展望の創設と協調。
つぎの公準が、先進国における、自由・富・エロス(幸福)の配分の合理性を高めること。
これは、先進国協調の重要な条件。
- 「先進国」の人間の「実存不安」は、社会の「承認ゲーム」が、多く「必然性のゲーム」であって「自由」ゲームとなっていないこと。および社会的「承認ゲーム」一般が、世界的矛盾の中で成立しているという意識による。
- 「近代社会」の世界史的展望は、国民国家原理と資本主義原理によって頓挫した、「自由の相互承認」による「社会原理」をあらたに展開できるか否かにかかっている。
「反近代」「反ヨーロッパ」「反自由」の諸概念は、反動形成となって、つぎの展望を見出せない。
(以上)