竹田青嗣 講師紹介


第2期アカデミー講義
「社会思想と現象学」
第2回目(2003年5月10日)
レジュメ

近代哲学と社会 社会思想と現象学 2回目

(1) 前回のまとめ

  1. 言語とは何か
    人間社会は、言語による約定の網の目である。
    人間の世界は、集合的な約定関係の網の目。「ゲーム的本質」をもっている。
    人間の「身体性」は価値審級によって特徴づけられる。「感情、欲求、欲望」は、「真・善・美」という秩序性がその本質。
  2. 「社会」という難問。
    「身体論」「言語論」「社会論」には同型のアポリアが存在する。
    完全な「構造化」が成立しないこと。へその緒のような分析できない点が現われること。
    →近代社会学は、「事実」として社会を捉え、「構造」それ自身を捉えようとしたこと。
    「構造」はそれ自体として存在するのではなく、課題を設定したときにそれに応じて現われるものだということ。→本質学
  3. 近代観念論」の可能性
    近代哲学の中心問題は「認識論」(厳密な認識の可能性)これに対処できる方法が観念論だった。観念論は、重要な成果をもっている。

    1. カントの「超越論的観念論」→ヘーゲルの「意識の現象学」へ
      ここのポイントは、個々人の自由な生の意識にとっての「社会」、を捉えること。
    2. カント「超越論的観念論」→フッサールの「超越論的現象学」へ。
      最大のポイントは、共通了解の成立する領域としない領域の原理的区分を確立すること。

(2)近代哲学の社会「原理」

  1. 「社会」あるいは「社会」が政治統治をもつことの存在理由
    →ホッブス「万人の万人に対するたたかい」 (「承認をめぐる死を賭するたたかい」)
  2. 「人間の諸権利」の存在理由
    「所有」と「自由競争」の原理……所有権と自由競争は各人の「自由」の基礎条件
    ロックの『統治二論』・カントの『人倫の形而上学の基礎』・ヘーゲル『法の哲学』
    スミス『国富論』 普遍分業と普遍交換の不可避性 →普遍市場の不可避性
  3. 「政治統治」の「正当性」の根拠
    →ルソー「社会契約」「一般意志」・ヘーゲル「自由の相互承認」

(3)近代社会の根本原理──「自由の相互承認」をめぐって

★『精神現象学』について

  1. コジェーヴ ──歴史の終焉
    世界の歴史は「主と奴のたたかいの歴史」宗教から「無神論の完成者」としてのヘーゲル
    「歴史の終焉論」→「知の絶対的体系の円還」
  2. 欲望の原理 「他者と承認」
    人間の欲望本質は他の単純否定ではなく「自己意識の自由」(自己欲望)→「他者の欲望」

    「自己内価値確証」の類型→「ストア主義」「スケプチシズム」「不幸の意識」
    これを経験して「理性」へ。
  3. 「絶対本質」──最も普遍的なるもの  最もほんとうのもの  超越的なもの
    「宗教」とは何か→「絶対本質」が外化したもの。
  4. 「啓蒙」と「信仰」
    「唯物論 対 理神論」
      ↓
    「有用性」
      ↓
    「絶対自由」(革命)→「恐怖政治」
  5. 「道徳」と「良心」 (自己自身を確信している精神)
    1. 「道徳」 人間的超越を自己へと内面化した精神(→カント)
      実践理性の根本法則
      「君の意志の格律が、常に同時に普遍的立法の原理として妥当するように行為せよ」

      →三つの要請
      (ずらかし) 
      1. 「最高善」→「道徳と幸福の一致」の要請
      2.  
      3. 善への「義務」→「理性と感性の一致」の要請
      4.       
      5. 「神」→→「至上存在」の要請
      6.     
        

      「道徳意識」は、合理的推論の能力から世界の理想像を「表象」(理想像)する。現実と理想の格差は、その現実条件(可能性の条件)がつかまれるのではなく、「当為sollen」によって埋められる。これが「純粋義務」となる。世界はかくあるべき。

      「純粋当為」の挫折→本質的不可能性 「個と全体」の完全な一致 「善の完全な実現」(=世界の道徳的完成) 「すべての人間の人間的完成」 →矛盾が現われる。

      「道徳的意識」の方策
      1. 「純粋当為」の信念の挫折を、理論的権威、政治的権威、共同的権威によって補強すること。
      2. 矛盾を適切に克服できず、価値相対主義、懐疑主義におちいること。「アイロニズム」
        「この形式はじっさいイロニーである。すなわち、そのような信念の原理などは大したものではないという意識であり、信念というこの最高の基準のかたちで恣意が支配しているにすぎないという意識である。」(『法の哲学』)
    2. 「良心」
      「道徳」から「良心」への展開は、「自己意識」の自己了解(自覚)の進展。
      「道徳」は、一切の超越的なものの本質が「自己」にあることを知っている本質的「自己配慮」の精神。自己を善きものと一致させようとする精神 そこで「純粋義務」をもつ。→これが「理想表象」を生む。 「良心」の自己理解

      1. 「道徳」が、自己中心的な「自己価値への欲望」への無意識に由来すること。しかしそ れは相互的であり、「自己中心的動機」なしに普遍的なものへの意志もないこと。
      2. 人間の知は全知ではなく、そのため本質的に信念には「過誤性」があること。
      3. 自己責任と結果の引き受けの自覚

(4)まとめ

  1. 「啓蒙」→「有用性」「絶対自由」「道徳」「良心」という範型は、近代の「自己意識」の必然的範型 →「絶対本質」(最も普遍的なもの・ほんとうのもの)
    近代精神は「自己の自由」を探求し、これを「最も普遍的なもの」(社会性)へとつなぐ。
  2. 「良心」はヘーゲルの「絶対知」を意味する
  3. 近代精神が「良心」へと自己を推し進める本質契機は、「自由」の自覚(自己理解)
    →つまり「自由の相互承認」という契機
  4. ヘーゲル社会論の根本構想は、「自由の相互承認」がその原理を展開してゆく可能性の原理。これを「個人における社会意識」(普遍性の意識)の範型論として描いている。
    このプランを、「社会構造」として考えればどうなるか。

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