宗近 真一郎
一九九〇年以降、竹田青嗣はいくつかの入門書を手掛けてきた。『自分を知るための哲学入門』『「自分」を生きるための思想入門』『ニーチェ入門』『プラトン入門』などである。入門書というのは通常、その分野の初心者を対象と想定し、大家や碩学によって懇切に総論を叙述された書物のことをいう。それは、啓蒙的であることが、読者を取り敢えずは誘引し、ときに退屈させる。「知」が体系的に学ばれるという蓋然性を帯びてしまうこと、つまり、社会の要請のなかに吸収され秩序化されることによって、「知」以前に存在した根本的な問い掛けへのパッションが啓蒙という段階では通常は消失しているからである。
ところが、竹田による「入門」シリーズはかなり趣が異なる。竹田自身が思想を志向するスタンスや契機がそのまま入門書を書く行為に繋がっている。そのため、とても素朴で無前提な位置から思想が日常の地平線の上で語り始められる。思想や哲学が恒常的な難解さから解放される。つまり、テキストが集積することによって理念や概念が細分化された「知」の閉域となってゆくバイアスが、実践(生活経験)のための「技術」として現実の方に開いてゆく方向に裏返されているのである。
例えば、『自分を知るための哲学入門』(九〇年)の枕の下りで竹田は「哲学とは本来、ある人間の自己了解として生きられなければ全く無意味なものなのである」といい、他者や世界との関係への了解も「自己了解」(自分を知ること)を通じてのみ可能だという。その原理とは、自分の身体や欲望の声を聞くことによって世界のエロス性が開示されプラトン以来の「真・善・美」が到達されることだ、と後段で竹田は語る。この「入門書」では、初期ギリシャ哲学からハイデガーさらにはポスト・モダンまでもが役割期待通りにカバーされつつ、思想言説というものの相対性や主客合一の去就について要所々々が精緻に押さえられ、最後に「自己了解」は形而上的な倫理規範においてではなく、世界から告げ知らされるエロス性の原理として成立すると描かれる。
つまり、「自己了解」は世界認識に収束されるのではなく、世界が「私」を引きつける「力」として統覚される。このユニークな発想は竹田の「入門」シリーズの基調を成している。それに先立つ『陽水の快楽』(八六年)では既に、かつて「世界という理想」に集約された生の範形と現実感も、実は〈変革〉、〈解放〉、〈革命〉という「世界への欲望」を生み落としたのであり、現在、全く同様に、消費され、味わわれるものとして都市のエロス的イメージを新たな「世界への欲望」として形成していると述べられている。また、廣松渉との対論(八九年)で竹田は「そこで、実践ということですが、ぼくの考え方でいうと、基本的には人間は世界をまず認識しているんではなくて、まず感じている」と明言している。
ここで、九〇年代にはどんな思想的なストリームがあったのか振り返ってみたい。七〇年代のなかば、第二次オイルショックあたりで日本の戦後過程は曲がり角を迎えたといわれる。まず、それまで「生産」から説き起こされていた経済言説が次第に「消費」を起点に発想する方向に傾きはじめた。あるいは、経済循環において「生産」や経済成長を優位とする従来の考え方が後退していった。それと相俟って、「生産」という概念に歴史的に内包されてきたマルクス的な疎外論の発想が急速に相対化された。つまり、疎外論にバックアップされた批評、資本主義批判をベースとする形態が急速に陳腐化しはじめた。
その流れは、ポスト・モダンと並行し、日本の思想言説にもほぼストレート浸透したといえる。一方、マルクス主義のイデオロギーとドグマへの批判が世界的規模で拡大し、八九年にはベルリンの壁が壊れ、ほどなくしてソ連が解体した。
だが、ベルリンの壁倒壊以降の九〇年代の思想的流動においてマルクス主義は死滅しなかった。資本制への抵抗素あるいは「階級闘争」のメルクマールとしてのマルクス主義は滅んだが、主体や認識の不可能性を前提としながらも、世界の現象に派生する様々な「差異」をぐんぐん細密化し、その微細な「差異」を倫理的に問い詰めてゆく思想のオブセッションとして、マルクス主義は過剰に生き残ったのである。
九〇年代の思想を主導したかに見えるポスト・モダンは、消費経済に足をつけながらも、実は、直接性を失った分だけマルクス主義のリゴリスムを研ぎ澄ませていったのである。とりわけ、日本のポスト・モダン言説はノン・イデオロジカルに見えながら、左翼性を露にしていった。ベルリンの壁倒壊について、資本主義が制覇したのではなく、本当は世界が共産化したのだといった柄谷行人は掛け目無しに「可能なるコミュニズム」に赴いたし、片や、柄谷を嫌いリオタール的「漂流」や消費資本主義に思想を糸口を求めた芹沢俊介は「戦後民主主義」のドグマで自縄自縛してしまった。
つまり、思想的九〇年代は、バブル崩壊以降の経済の「失われた十年」と同様に、理念の方向感を失っていたのである。そんななかで、竹田青嗣は「入門」シリーズを粘り強く展開した。日常の地平線の上で無前提な位置から思想を語るというスタンスは、実に、ベルリンの壁倒壊以降のあらゆる思想言説が、表(タテマエ)テクスト主義・裏(ホンネ)マルクス主義という分裂に馴染んでしまう以前に立ち戻るべき場所だった。竹田の「入門」シリーズは九〇年代において必然的に選択されるべき挑発的な思想の方法だったのである。
竹田青嗣は、その九〇年代の終わりである九九年に「プラトン入門」を上梓した。「市民社会」という近代ヨーロッパの希望の原理がファシズムをも生み出したことに対するコンプレックスにより、その原基としてヘーゲルとともに批判されてきたプラトンをめぐって、まず、物語を用いず抽象概念を用いて世界説明を行うという哲学的思考が設定したルールが初めて共同体を越えて交換される言語ゲームの条件を得たこと、また、誰も解けないという「ゼノンのパラドクス」においてアキレスが亀を追い抜けないのは「有限」と「無限」という抽象概念の「実体化の錯誤」によることが解説されている。
これは、ヨーロッパ思想の系譜が言語ゲームのなかを生き抜くために公理系を作り出してきた思想史のベースメントに対する的確な批判になっている。抽象概念は交換性を獲得したのと同時に、概念の実体化という債務を負った。このことをきっちり見極めていない多くの思想論は理念の運動を過分に解釈しようとして空転していった。
そして、『パイドン』におけるプラトニズム批判に関してこんなふうに記された。
「重要なのは、ここに、思想が普遍性への探求という本来の性格を失い、ただ、〈正しさの信念〉の共同性を守ることのみに奉仕するという事態が生じる、ということである。そして、わたしたちが真に批判すべきなのはこの事態に対してであって、“魂の内面化”ということに対してではないのである」
プラトンの「善」とは、「因果」の系列として人間が世界を眺める諸観点を作り出す当のものである、と竹田はいう。デリダらのロゴス中心主義批判には、「善」を画定したプラトニズムへの批判が内在しているが、これに対して、竹田は、プラトンは確かに「善」を画定したが、それは「善」の共同性を断定したのではなく、「善」のプラトン的イデアとは事物の究極的な説明原理にほかならないと解釈したのである。
ここで、初めてプラトンが還元的に語られる場面に、「入門」する者は出会うだろう。絶対的な「善」ではなく「善きこと」を求めようとする「魂の欲望」を肯定するということ。九〇年代最後の竹田「入門」テキストはポスト・モダンのリゴリスムに何ら憶することなく画期的なプラトン解釈を提示したのだ。
「善」のイデアルな強制力ではなく、「美しく、善きもの」への志向を人間の善悪の彼岸に見出だすということ。この竹田の異端的なプラトン解釈は八〇年代の『陽水の快楽』で示されたエロス論以前から貫かれているものだ。つまり、思想を原理的に問う力がエロスからやってきたということである。
八三年刊行の『〈在日〉という根拠』で竹田は「問題群と美意識の範形が、日本近代に固有の〈内部〉の風景として現われ、従って、ことばは常に、「問い」の内側へ向かって発せられる。しかしむしろ重要なのは、いまや「問い」の外部ではないだろうか」と述べ、それに先んじた作家論を介して、現実とは「解釈」に他ならぬというニーチェの世界解釈を、「在日」という場所から「倫理」を一気に越えて「欲望」へと転倒してみせた。また、竹田はこんなふうにもに述べた。「〈在日〉の危機とは、私にとってはむしろ、あの「意味への渇望」が絶えず超越的な理念への呼び寄せへと私たちを促し、そこで私たちが、自ら現に生きている「差別されるもの」としての実質を密かに「埋葬」してしまうことの「危機」にほかならないのだ」
「問い」が内部の現実に届くためには「欲望」に到達されなければならない。それは「問い」の外部にあるからだ。一見、「外部」と「内部」とが無限に往還されるようだが、主題(意味)を独在させるのではなく、実質に根拠地を想定しなければ、どんな抵抗も成立しない。竹田の展開は「問い」への求心力においてミリタリイであるが、同時に「問い」を自らの「外」へ旋回させようとする点で限り無くエロス的なのである。
このエロスと超越とのリンケージが、竹田の思想言説のはじまりから現在までを貫くコードであることは確かだ。倫理、規範、戦後、資本主義を踏む思想言説の定石があるとすれば、竹田は、定石を外し、「在日」を軸にして、世界をエロスのゲシタルト(体系)として語る。また、竹田が、歴史は相対性のなかにあるというとき、その相対性とは「欲望」の比喩であると考えることができよう。エロスを欲望と快楽の循環としてイメージすれば、快楽の極致にある超越的なものが現代社会の共同性を形成するという逆説が成りたつのであり、この逆説は「入門」のオーソドキシーを堅持しながら、竹田の思想言説をとてもユニークな位置に立たせるのである。
八八年に吉本隆明に対して「人間というものは、物心ついた瞬間にある欲望である。順序としては、自分の持っているこの欲望によって喜びもあるけれども、苦しみにぶつかったりもする。自分が現にあるところの欲望です。そしてその壁にぶつかっているということを掘り返していく道筋をどうつけるか、ということが大きなことになるような気がします」といった竹田は九六年のインタビューで佐藤幹夫にこう答えている。
「だからぼくは、社会の構造の問題は、基本的に開かれたシステムの条件を取り出すということが基本課題であり、倫理の問題は、社会の公共的な価値と私的な生活におけるモラルの価値との背反はどういう条件のもとに最小になるか、ということが根本問題だと思うわけです。それで、この両方の問題ともに、人間の欲望の本質についての考察ということがもっとも土台になる、というのがぼくの考えです」
八八年と九六年との間に、阪神大震災とオウム事件が挟まっており、ポスト・モダン言説の興隆と退潮というサーキュレーションも看過出来ない。いわば日本の戦後的な時空感覚がもっとも揺いだ時期に相当するが、竹田のエロス論は、公共性と私性をバランスさせる発想において特にオウム事件以降は極めて堅調に展開している。
『夢の外部』(八九年)『世界という背理』(八八年)など八〇年代終わりの一連のポスト・モダン批判において竹田の批評は解釈の方向感を失いひととき苦戦していた。それが、九〇年代に入って、「入門」シリーズをテコにして竹田批評はアクチュアリティを回復した。どういうことか。たぶん、欲望論や心身論から始まる自らの思想と、記号をひたすら消費するポスト・モダン言説との距離感をクリアに測りきれなかった竹田は、「入門」言説を介して、ボードリャールやドウルーズらのシステム論への異和をつうじて、思想史が「構造」認識と「幻想」論との戦ぎあいであるというシークェンスに出会うことによって、いったんポスト・モダンと和解し、すぐにそれを乗り越えたのだ。
だが、竹田エロス論が倫理に向き合う正念場はまだ始まったばかりであるといわねばならない。超越性はどうやって到達されるのか。例えば、中沢新一は既に、密教的快感を世界との心身的融合へと直通させるレトリックを縦横に張り巡らせている。そういうフィクショナルなファンタスムを地上的に引きつけながら、それでいてエロスの孕む超越性を日常的欲望の一歩先できっちり自覚したい。生命体、有機体としての衝動的かつ恣意的なテンションを日常のロゴスに還流させたい。
哲学の実践とは、偶発的な欲望(エロス)を倫理へと過不足なく集約する回路を画定するという、いまやもっとも困難な「技芸」といってみたい。その「技芸」において、「超越と現実」のアンチノミーのもと、「在日」であれそこに到達するための契機を「経験の世界性」として特権化する所以はどこにも無い。
そのように、大半の異界論を含め超越性への通路が殆ど無効になっている「日本」においてこそエロス(欲望)に立ち戻り、一切を反復する契機がありうる。「無限」に挑戦する「有限」な「われわれ」としては、ボルヘスのように不死を自らに宣告するオルタナティヴな原理をどこかで撃破しなければならない。
竹田が倫理に向き合おうとするポジションは、そのまま、「日本」において「超越」と「現実」とが過酷に交差するアレゴリーに至近するだけではなく、今後も拮抗すべきドグマとの主戦場を予感させる。無前提な「入門」状況のホライズンに身を置くということは、エロスを仮借なく現存性の砦とするが、ヘーゲル的「世界精神」には最終的に親和しないアジア同胞へのオマージュの可能性と不可能性をともに遂行することに他ならない。
(May、2001)