講義
家族のこれから
(第4期講座)
受講生から寄せられた感想です
家族と言われるものの形が、所属する社会的環境以上に経済的なもので変動しているのかな、という視点が第3回で出てきて少し面白かったと思います。
経済力が社会の中で重要な位置を占めているとも言えるのかなとも思います。お見合いで経済力が重視される点の1つというのも、そういったところからつながっているのでしょうか。
別の価値観が重視される社会になったら、どんな家族の形が現れるのかというのも面白そうな気がします。なんか他人事ですが。
[匿名希望さんの感想]
理想的な家族(人間関係)とは利害損得を考慮しない間柄、つまり契約ではない関係なのではないかという気がした。ならばこの現代社会において、結婚が契約である以上、理想はただの幻想で終わる気もする。契約の締結そのものが目的になる世の中になっていくのではないか…。でも世の中そんなに捨てたものではないですよね? 別れを恐れない勇気があれば
[岩田晃一さんの感想]
1回目、10月30日、受講中、感じていたこと正直に申し上げますと、ひょっとして私は場違いなところに来てしまったのではないだろうか?――という疑念でした。山田先生は現在の家族のすがたを豊富な事例を挙げながら示してくださいます。ペットのことに話が及んだとき、私の疑念は頂点に達しました。
私のノートには殆どなぐり書きに近いメモがとってあります。世の中にはなんてバカなやつがいるんだろう、そんな奴の話を今ここでじっと聴いている自分はもっとバカなんじゃないだろうか…そんな思いが筆跡に込められているかのようです。
そのときふと山田先生の顔を見ると、先生は照れ笑いというか、自嘲げなというか、あるいは、とぼけた(?)ような笑いをしておられました。思い出してみると、3回の講義中ずっと先生は、そのような、様々に解釈可の、複雑な笑いを顔に浮かべておられたような気がします。そんな山田先生の顔を見ていると、どうしても私は、前回の講師・中島義道氏の毅然とした鋭い、誰が笑うか! というような顔を思い浮かべずにいられませんでした。話す内容によってひとの顔とはこうも変わるものなんだ、家族の話をするのなら、山田先生のような顔になるしかない、家族の話は中島先生のような顔をしては絶対できない、となんとなくわかったような気になっておりました。
家族については日本中の誰もがある種の絶望感をもっているのでは、と私は専門家のような口をつい利いてしまいそうなのですが、他のひともやはり、こと家族については、一家言を吐きたくなるのではないでしょうか?
何かが失われそうになったとき、ひとははじめてその何かの素晴らしさに気づくと言われますが、家族もこれに当たるのだろうか? と山田先生の講義を聴きながら考えていました。
私の場合は、家族の素晴らしさは、記憶としてはっきり残っています。
もっとも今回山田先生のお話を聴き、私のだいじな家族も、おおまかなところでは戦後家族モデルの範疇にひっくるめられるのだな、とわかった時点で、急に興ざめのようなものを感じましたけれど。自分だけの固有な記憶だと思っていたものが、一般化されて匿名化されることの失望というのでしょうか。なんだ、背後で操られていたのか、と思いました。といって、それによって私の中に残っている、素晴らしい家族の記憶が、損なわれるということはありません。
ところで私の姉は以前、子犬にじゃれつかれただけで総毛立つほどのイヌ嫌いだったのですが、いまペットとしてイヌを飼い、イヌは完全に彼女の生活のパートナーになっています。それなしでは精神生活が成り立たないほど、姉にとってイヌは重みのある存在になっています。はっきりいって、姉はペット狂です。1回目の講義中、ペット狂をバカ呼ばわりした私は、後日、この気味の悪いような姉の変貌ぶりを思い出して、ハタと考えこんでしまいました。
いったい姉の中で何が起こったのだろうか?
このように問題を立てても、けっして答は得られないことに、すぐに気づきました。それは姉の内面の問題であって、私には関わりあいのないことなのですから。私にできることは、せいぜい姉の変貌ぶりから、推論をめぐらすことくらいです。
それで私は、姉と共有している素晴らしい家族の記憶をよみがえらせ、それと、姉の現在の生活とを比較してみました。そうすると現在の姉の生活に、決定的に欠落しているものが一気に浮上してきます。それが何なのか、は、姉のプライバシーを侵害しますので言いませんが、それはペットによって一部分は代用できる種類のものです。あくまで一部分です。ところが姉は全部を代用できると勘違いしているんじゃないかしら、と私に思わせるほどペットに忠誠を尽くしています。毎月美容院に連れていったり、具合が悪そうだとすぐに病院に連れていったり…。あの毛むくじゃらな物言わぬ動物が、もし言葉が理解できて、ものが言えるなら、とても引き受けられないヨ、ときっと文句を言うような過大なものを姉はペットにたいして期待しているのではないだろうか、と考えるうち、自分の顔が笑いはじめるのに気づきました。
そうして、ああ、そうか、と頷いていました。ふっと山田先生のあの笑いの意味が理解できたような気がしたのです。
ご自分のテーマとして、山田先生はレジュメにこう書かれています。
「家族の現実は、理想的でないことが多いのに、なぜ、人々は家族に理想を求めるのか?」
2回目、3回目と講義が進むうち、私の目の色がだんだん変わってきたのは申し上げるまでもありません。
山田先生の今後のご研究に注目と期待をしております。
[K.Hさんの感想]
「家族」というものの定義が出来なくなっている社会に我々が今生活しているという事実にあらためて驚いた。
選択不可能な解消困難な関係である「家族」という定義はあまりにもあたりまえで気にもしていなかった事実もあり、非常に新鮮に聞こえました。その様な前提が、最近TV報道されている様な異状な事態として壊れているケースが時々ある程度と思っておりましたが、統計的にデータとして示され実感として分かりました。
社会学のおもしろさと限界を教えられたと思います。これからは社会学で分析された事象を考えていくためにも、我々すべて哲学的思考方法を身につけていかなければならないと思いました。
[a.h.さんの感想]