講義
人間にとって「おカネ」とは何か
(第4期講座)
受講生から寄せられた感想です
プラザ合意や日米構造協議という言葉はニュースでしか聞いたことがなかったのですが、先生の御講義で目からウロコが落ちたようにその実態がよくわかりました。郵政民営化も多くの人々が不安を感じているのが、世論調査などにも表れていますが、その不安の中心が、グローバル経済に巻き込まれてしまう不安感だというのが、よく分かりました。ケインズ理論の核心についても、とてもわかりやすかったです。
[芳賀真理さんの感想]
本当に久しぶりに学生の気分になって講義を聞けて楽しく思いました。
テーマが広く、多岐に渡るので、もう少し絞って3回分にしてもよかったかと思います。例えば、「父と子の抑圧と資本主義の心理」だけでも3回分行けてしまうような気もしました。
佐伯先生の人柄が感じられて、近い席で聞けたのもよかった。先生の説は一字で言えば、より「人間的な経済」を再構築する必要があるということだと思います。それは、私も感じましたが、日本的共同体主義(というか会社主義)の弊害もたくさんあるので、どう具体的に手を打つかは試行錯誤していくしかないのでしょう。
[織田孝一さんの感想]
第2回では佐伯氏の今の社会に対する危機意識の持ち方(子どもの凶悪犯罪等)に違和感を覚えたが、第3回の話は了解できた。
将来の日本の経済社会の構想については賛成できる。
今の仕事(知的障害者の更生施設)に関連して言うと「開放的な自足的生活サイクル」というようなキーワードが浮かんできた。多謝。
[村松旦さんの感想]
人間にとって「おカネ」とは何か’ それがあると便利なもの、と氏はひとつの答を出された。ただ便利というだけでおカネとは存在している、とも。とすると人間にとっておカネとはなぜ存在するのか不明だけれども、とりあえず便利だから習慣的に存在しており、習慣的に使用しているもの、ということになるのだろうか。この利便性というおカネの一側面だけが病的に肥大して今日の経済世界を、数値と記号の無味乾燥な非人間的な世界にしているのだろうか?
又、これもひとつの答を受講生が見つける手がかりのためにということだろうが、貨幣と言葉の類似性を氏は説かれた。
貨幣とは、言葉という言葉に対応するものである。個々のモノ、たとえば机とか椅子とか猫とか犬とかという言葉に対応して実際に在るモノ、そういうモノとの対応関係をもった言葉とは、言葉という言葉はちがう。対応するモノがない。具体的に何も指し示していない。ということは生活空間からはみだしているということ。純粋なシンボル性だけでそれは成り立っているということ。この点で言葉という言葉と、貨幣は対応していると氏は説かれた。
この純粋なシンボル性が言葉に於いてもそうだが貨幣に於いても、生活空間とはちがう原理で働く‘経済’の世界をつくらせることになる、と。なるほどこの観点からだったら、今日の経済世界を、数値と記号の無味乾燥な非人間的な世界にしていることの説明がつくと私はなんとなく説得されたような気がした。
そしてまた貨幣とは、生活空間に於いてはさして重要な役割を果たさないものと氏は言われた。この場合の貨幣とはあくまで10円とか100円とかの具体的なモノとしての貨幣ではなく、貨幣という抽象のことである。ならば、貨幣とは重要な役割を果たさないどころか、まるっきり関係ないものと言ってもいいのでは? 少なくとも10円とか、100円とかの具体的なモノとしての貨幣だけに執着して、あくせく生きている私のような者には…
だがここでハタと思うのであるが、この10円、100円というおカネは、それでもあの無味乾燥な非人間的な‘経済’の世界と、どこかで繋がっているのではないのだろうか? なぜって、雲の上のあそこでも10円はやっぱり10円なのだろうし、100円は100円なのだろうから。そうだ私はこの繋がりをこそ、以前から知りたい知りたいと思っていたのだ。何億ものおカネを右から左へ動かしているあのひとたちは、自分たちは何をしているのかわかっているのだろうか? 何億というかおカネを扱いながら、そのカネの実像を一度でも見たことがあるのだろうか? とずうっと疑っていたのだ。
この点について氏は明確な答を出してくれていない。ただ、こんな意味のことを言われただけだった。「名誉でもないし地位でもないし彼ら自身がよくわからない何かによって突き動かされているんでしょうね、ただ先端を走るということだけに彼らのやっていることは意味があるんですよ。」世界経済も日本経済も未来は危ういと最近よく言われているが、先端を走る人がそういうことなら、ほんとうに未来は危うい、と受講後私はつくづく思った。
人間にとって「おカネ」とは何か’ 私にとって「おカネ」とは何か? と言い換えれば、すくなくともこれだけは言える。三回の講義は、貨幣というものの自明性が私の中で徐々に崩されていく過程だったと。
ところで氏の講義スタイルは独特である。俯きかげんに黒板のまえを行きつ戻りつしながら、言葉を選ぶように喋り、そして頻繁に黒板に向かわれる。私はいつしか既視感に囚われていた。これはいつかどこかで見たことのある光景だと。講義が終わってから思い出した。大学の数学の授業である。
[K.Hさんの感想]