佐伯啓思 講師紹介


掲載紙:産経新聞
(2001年10月24日)

構造改革の見直し迫るテロ

佐伯 啓思

  あるアメリカの政治学者が、「九・一一」を境にして、ものの見方、論じ方が一変してしまったと書いていたが、この言い方には少々誇張が含まれているとしても、しかし決してまちがっているわけではない。そしてそのことは経済にも当てはまる。もっと言えば、われわれは、今、小泉氏が唱えている「構造改革」の基本的な考えを根本から見直さなければならない。

  九月十一日のアメリカ中枢部へのテロリズムはいくつかの教訓をわれわれに与えたが、その一つは、金融・情報中心のグローバル経済の持つ脆弱性ということであった。世界貿易センター・ビルの破壊が、端的に金融・情報のグローバル経済へ向けた象徴的な攻撃であったという点からもわかるように、テロリストは、金融・情報の中枢を破壊することによってアメリカを中心とするグローバル経済に大きな打撃を与えうると考え、また現実に大きな動揺を与えることに成功した。すでに景気後退に入りつつあったアメリカ経済の動揺、および世界的な金融市場の混乱は、一九三〇年代の恐慌をも想起させるにたる世界同時不況をももたらしかねないのである。

  ところでフランシス・フクヤマは、事件後、数日たって発表されたある論説の中で、これはアメリカにとって「よいレッスン」になったという。九〇年代のアメリカは、金融・情報グローバリズムという「虚の経済」に浮かれ、誰もが「アメリカ」のことに関心をもつことなく、自己利益の追求に奔走していた。しかし、金融・情報によっては国を守れないことをわれわれは思い知らされた、というのである。

  金融・情報による利得機会の創出という「虚の経済」ではなく、製造業の生産基盤や生活の確かな基盤という「実の経済」を整える方向へ、さらには愛国心や社会的な価値、規範を再建する方向へと向かうであろう、ということである。つまり経済というものについての意識の大転換が生じるというのである。

  無論、今回のテロによって、金融・情報のグローバル経済という歴史的な趨勢が逆転することはありえない。しかし、それに対する深刻な反省はありうるし、また、そうでなければならない。明らかに、テロは九十年代の金融・情報グローバリズムの脆弱性を暴き出し、その主導国家であったアメリカ経済を痛撃したのである。

  改めて述べておきたいのだが、テロリストは、世界の自由や民主主義一般を攻撃したわけではない。あくまでアメリカという特定の国を攻撃したのである。しかし、そのことが世界経済全体に対して大きな動揺を与えるのである。

  さてこのことは、今日の日本にとっても決して無関係な事態ではない。まず第一に、日本は、日米安保条約による同盟関係に従い、アメリカ側につくことによってテロリストにとっての敵対国となった。つまり戦争の当事者国となったわけで、このことは今後、長期にわたってテロという目に見えない恐怖(テラー)に脅かされることを意味している。それも細菌テロからサイバー・テロにいたる「見えない敵」という予測不能なリスクを日常生活の内に内蔵したのであり、この正体不明の不気味さは長期的にも経済に大きな影響を及ぼすものと思われる。

  そして第二に、この事態は「構造改革」の前提となっている基本的な考え方にも大きな疑問を投げつけたことになる。九十年代以降の「構造改革」の基本的な想定は、金融・情報中心の産業構造に転換し、グローバルな市場競争への適応を目指すものであった。しかし、明らかに、今日、その金融・情報グローバリズムがはらむ大きなリスクに世界は晒されているのである。 重要なことは、むしろ、製造業の基盤を確かなものとし、グローバル経済の不安定性や社会真理の動揺から国民経済を守ることである。同時に、生活の基盤を安定化し、顔の見えるコミュニティや集団の持つ社会的信頼性を再建することである。そのために、政府はいまこそ新たな公共計画を策定して、長期的に社会を安定化するための公共資金を管理、使用すべきである。自己責任の名のもとにグローバルな市場へ個人を晒すことが真の構造改革ではない。グローバルな市場がもたらす予測不能なリスクや、テロが持つ潜在的な「恐怖」から、将来に向けて社会生活の安定した基礎をいかに構築するかこそが「構造改革」の課題でなければならない。


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