滝川一廣 講師紹介


当ホームページのために
書き下ろし
(佐藤幹夫 2001/12/05)

終わりに 滝川さんの自閉症論について(6)

佐藤 幹夫

  これまで、相対性・連続性の中で理解を、と滝川さんの言葉を引きながらも、しかし、どうしても彼らの特異さを指摘する記述に終始したようである。そこに目がいくことが避けられないのである。
  むろんわたしなりの理由がある。こちらの不用意な対応は彼らを不安にさせ、混乱させ、やがてパニックを引き起こさせてしまう。わたしはそのようなことを、限りなくくり返してきた。どうすればそれが避けられるか。そのことを知るためには、彼らの特異な症例を、できるだけよく把握しておく必要がある、そう感じているからである。パニックになって、彼らが楽しいわけはない。
  わたしが今ひとつ自分でつかみきれていない、と感じているのは「知覚」の問題である。それ以外は、滝川自閉症論はたいへん納得のいくものである。
  最後にもういちど滝川さんの言葉を引く。

《(カナーの翻訳者であり、自閉症研究の草分け的児童精神科医、十亀史郎氏の、最後の講演における次のような言葉、「自閉症児を特別なものとしてみるのを止めたとき、彼らがよく見えてくるということを最後にいっておく」を引いた後、)
  自閉症児を特別なもの、なにか異常な病理ないし特殊な障害をもった存在としてではなく、普通の子どもとたちと連続性をもった存在として理解しようとしたとき(言い換えれば精神発達一般の過程のなかに位置づけて捉えようとしたとき)、はじめてその本質が見えてくるという意味だったと思います。(略)。十亀先生が私たちに遺された最後のことばに、これから歩むべき研究の方向が指し示されているにちがいありません。このことばの先に「新しい自閉症観」が開けてくることを願ってやみません。》

<3>より


[前の文書に戻る]