滝川一廣 講師紹介


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書き下ろし
(佐藤幹夫 2001/12/03)

滝川自閉症論の特色 滝川さんの自閉症論について(2)

佐藤 幹夫

  さて滝川さんの「自閉症」論である。
  わたしが手にしている論文は三本。<1>「小児自閉症はどう研究されてきたか―回顧と展望」(92・2。これは研究会発表のレジュメのようで、未発表か。滝川さんにしては珍しく強い調子の文章となっている)。次は<2>「小児自閉症―子どもの発達との関連で」(1995・7「こころの科学」62)。三本目は<3>「自閉症はどう研究されてきたか」(2000・10。これはシンポジウムの記録で、やはり未発表か)。
  それぞれ論点の推移はあるが、最初の「小児自閉症はどう研究されてきたか――回顧と展望」が内容も網羅的であり、分量もおおく、ここで中心的に取り上げたい。その論は、わたしが読んだ10冊ほどの「自閉症論」のなかでも、村瀬学さん、浜田寿美男さんのものと並んで、群を抜いて原理的かつ人間論的洞察に満ちたものであった。(わたしが私淑してきた宇佐川浩さんも、視覚と聴覚の発達過程を精緻に分析することで、自閉症に対して独自のアプローチをしているが、いまのところ「自閉症論」としてまとまった論述はない。) さて、短い紙数で、滝川さんのどこがどうすごいかが説明できるかどうか。

  滝川自閉症論の特色は何か。
  まず、自閉症は一般に脳の器質障害だとされる。そしてそこで終わりである。この「終わり」という意味を理解していただけるだろうか。
  決定的治療法がなく、従って薬物療法、療育法・指導法などに多くの考察が費やされることになる。研究は精査になっており、それはそれで学ぶものが少なくはないが、とどのつまりは「脳の障害―医療的治療困難―薬事療法及び対症療法的療育」、言われていることはこれだけである。
  滝川さんも脳の障害を斥けてはいないが、それは生起率を高め、障害の程度を重くする要因ではあるが、自閉症を誘発する決め手とはならないとする。

(ア)
《脳器質異常とは小児自閉症の発現に対して、その発現確立を高める「非特異的」な負荷に過ぎないと考えれば説明がつく。/そのような性質の障害を我々はすでに知っている。「精神遅滞」である。・・・(略)・・・/小児自閉症もこれとまったく同様と考えればよい。何らかの特殊で特異的な病変に起因する障害ではなく、さまざまな脳器質異常を非特異的な負荷としたり、また必ずしも器質異常がなくても生じうる発達の「遅れ」の一形態なのである。》

<1>より

  いま、このような見解は少数派に属するだろう。少数派であるからだめだなどと言いたいのではない。逆である。わたしは医療においてはシロウトであるから遠慮なく言うが、脳の科学的解明の進展を持ち上げることで自閉症の説明をことたれりとする見解が、いかに人間論的洞察を放棄したものであるか、そのことに無自覚であるか、といえば、言い過ぎか。しかし、自閉症に関する書物をひもといてみれば、まずそのほとんどが、脳障害を基盤にした発達障害である・・と、書き始められている。
  少しは業界の内部にいて、自閉症のなんであるかについての文献を多少なりとも漁ったり、「研修」に顔を出したりした人間からすれば、脳の器質異常が「非特異的な負荷にすぎない」と言い切ることがいかにすごいことか、わたしの驚きを、少しは理解していただけるだろうか。

  そして滝川自閉症論の結論めいたことを拾い出せば、次のようになる。

(イ)
《いわゆる知能(認知・認識)の発達には個体差があり、一定以上、発達が遅れ、その遅れのために生活上の困難にであう子どもたちを精神遅滞と呼んでいる。この遅れ自体は特殊な例外現象ではなく、本来、連続的・相対的な個人差にすぎない。まったく同様に、対人的交流を発達させていく度合いにも個体差があり、一定以上の遅れのため、さまざまな困難にであう子どもたちをわたしたちは小児自閉症と呼んでいるだけであろう。やはり、本来、連続的・相対的な個人差にすぎない。》

<2>より

  「連続的・相対的」とは何に対しての連続であり、相対か。言うまでもなく「健常」とか「普通」とか「ノーマル」といわれているものに対してである。自閉症の子どもたちが見せる困難も、わたしたちと連続性を持ち、相対的なものだ、という。「遅れ」であり、「欠陥(deficit)」ではない、という。このように言い切っている。
  対人障害、その結果としての対人交流の遅れ、相対的遅れ、これが滝川自閉症論の最重要キーワードである。
  神経生理学やら認知心理学がここまで幅を利かせている昨今、そして児童精神医学会にあって脳障害説の支持者が9割以上ではないかと推測される昨今、このように言い切るからには、ご自身の理論的根拠に、言い換えるなら人間論的洞察に、そうとうの自負があるはずである。滝川さんは「佐藤さん、自負だなんて、そんな滅相もない」と言われるかもしれない。
 彼らの特徴は、あまりに固有であり独特であるため、わたしなどもつい、やはり脳のどこかに故障があって・・・などとという考えに傾きがちになるが、滝川自閉症論はあくまでも、連続性と相対性のなかでとらえる、という観点を手放さない。


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