滝川一廣 講師紹介


掲載誌:樹が陣営20号
座談会

滝川氏発言より 滝川氏の足跡、精神療法の基本的な考えに関するものを抜粋

引用者 佐藤 幹夫

(略)次は、じゃあおまえは何をしてきたのか、を話さなければならないわけですが、私自身は精神科医の中では心理療法の臨床をやってきたのではないかと思いますし、周囲からもそう見られているのではないかと思います。ただし、例えばロジャーズの研究所で修行してきたロジャリアンですとか、行動療法家ですとか、精神分析家ですというような、ある流派や学派のなかでひとつの技術を徹底的に身に着けた治療家ではないんですね。そうやって一つの技術を身につけることがプロであるとするならば、私はシロウトです。あえて派を分ければ折衷派といいますか、そういう存在でしょうか。(略)
  心理療法とは、結局、観念に偏りすぎないことが大事で、こころとこころの生身の関係を扱うのですから、その方法論も生身の体験のなかから少しずつ身につけてきたものが大事でしょうね。心理療法の本をたくさん読破し、たくさん研修に参加すれば、じゃあよい心理療法家になれるかといいますと、必ずしもそうではないんです。それ抜きでもだめですけれど、それだけではだめなんですね。理論からではなく、生きた人から学ぶ側面が必要だと思います。「技法」にであうのではなく、「人」にであうのだというところがあります。

  その意味で私の場合には、たまたま何人かの良いお師匠さんに出会うことができ、それを見よう見真似で学んできた、そのことが良かったといえます。
  私が精神科医になろうと教室に入ったときのお師匠さんの一人は、皆さんもお名前をご存知でしょうが、木村敏さんですね。木村先生が教授になられたばかりのときでした。そのとき助教授に来られたのが中井久夫先生です。それから今は京大におられる山中康裕先生、臨床に徹して開業しておられる大橋一恵先生が先輩としておられました。この方は土居健郎さんの直弟子ですね。
  いまにして思えば、考えられないようなそうそうたるメンバーだったのです。(略)

  精神科医になりたての西も東も分からない時に、以上のごとくそれぞれの履歴も立場も違いながら、腕のいい先生方から直接間接にいろいろ吸収できました。押しも推されぬ木村敏、中井久夫ですが、当時は知る人ぞ知るだけの存在で、何も知らない私は、大学教授や助教授は皆こういうものだろう、大学で教えるほどの精神科医は一般にこれくらいの見識と技量があるものだろうと思っていました。(略)

  そんなことで、私は特定の流派に属さずに臨床を続け、無党派折衷主義でやってきました。スタートがこうだったので、それが根っこなんですね。でも、ときどきはきちんと専門的な勉強をしないといけないかなと思って、心理療法のいろいろな専門流派の会を覗いて回ったこともあるのですが、鼻白むといいますか、同じ流儀、同じ治療観の人たちだけがそれぞれ集まっている、いわば一種の党派なんです。いちおう私は全共闘世代なので、党派性には懲り懲りなわけでして(笑)。互いに他の流派に冷淡か無関心に過ぎますしね。同じ流派内でも分派的な(?)対立はあって論争などもしていましたが、私にはなじめなかったですね。
  ちょっと勘弁してくれという感じで、自分なりに考えてやっていったほうがなじむと思いました。もっとも、それにはそれで自己流のもつ「独断と偏見」の恐れがあるわけです。そこに陥らないためには、自分がやったり考えたりしている精神療法を、たえず日常一般の経験に広く置き直してみることですね。うまくやれているかどうかは別として、心がけとしてはそういうことですね。(略)
  私は学校論とか教育論もやっていますが、それも全体の中に物事を置きなおしてみるという方法意識から自ずと出てきたものです。 

  (技法が)いろいろあるなかで、ある精神療法がその社会にどれくらい受け入れられるかはその社会ではどんな価値観や人間観が一般的かの関数だといえると思います。例えばある療法は治療効果が80パーセント、別の療法は60パーセントだとします。身体療法であれば、誰でも80パーセントのほうを選びますね。患者さんもそうですし、医者のほうも乗り換えるだろうと思うんですね。ところが、心理療法では、それはあまり起こらない。
  どうしてかといいますと、習い覚えた技術を捨てて新しく習得し直すのは大変という事情もあるかもしれませんが、それだけではないでしょうね。心理療法とは人と人との関わりですから、そのかかわる方法が自分が持っている対人関係についての価値観や人間観とまったく合わなければ、たとえ治療効果が高いといわれていても、それを選ぶ気にはならないと思うんですね。無理に学んでも身につかないし、うまくいかないと思います。ある治療技法を、ある治療者が自分の方法として受け入れて習熟できるかどうかは、技法のバックにある人間観とその人が抱く人間観とが矛盾しないことが条件なんです。患者さんにも似たことがいえて、自分のそれに合っていない療法だとなかなか治らないですし、だいたい長続きしませんね。
  ある技法がどれだけ一般化するかは、その社会でどんな人間理解や価値観が一般的かによると言えます。わが国では折衷主義が多いのは、それが日本の精神風土に合っているためかも知れません。


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