櫻田淳 講師紹介


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書評その他

佐藤 幹夫

●インターネットにアクセスし、櫻田さんの著書を検索すると、『「福祉」の呪縛』が27件、『国家への意志』が24件、『「弱者」という呪縛』は108件ヒットする(biglobeの検索サイト)。詳細を知りたい方はそちらをご覧いただきたい。

●『「弱者」という呪縛』については、わたしも司会や編集などでお手伝いした、いわば当事者のひとりである。そのわたしがこの著作を論じる、というのも変な話である。さいわい、橋爪大三郎さんが産経新聞に書かれた書評があり、橋爪さんの「コーナー」に転載させていただいているので、参照していただきたい。また朝日新聞には、武田徹氏が書かれている。
一言だけ述べるなら、櫻田さんが、「放談の書」と「前書き」で書いているように、乙武氏への批判、いたずらに延命させることへの疑義、障害者の「性」について等々、メディアで話題にしにくいことに触れているのが、本書のおおきな特徴である、とはいえるだろう。
さらにいえば(二言目になってしまうが)、このなかで触れなかったことがある。天皇制の問題であり、そこはタブーだったのか、とある人に、やや皮肉交じりに指摘された。わたしはなるほどと思い、それなら天皇制の問題、教科書問題で噴出した、戦後補償に関する問題、そして今度のテロ以後の、国家情勢と、九条をはじめとする日本国憲法の問題、これらをテーマとした第二弾がなされてもいいのではないか。そのように思った次第である。

●『国家への意志』については、その書評のすべてに目を通したわけではないが、「読売新聞」2000年8月13日付書評が、書評として要を得て簡潔なものだと感じた。(評者はテレビキャスターの橋本五郎氏)。ネット上にも公開されているものではあるが、抜粋しながら、ここに紹介させていただく。

●評者は、まずこのような時代認識から始める。
「私たちは今、かつてない歴史的な事態に遭遇している。経済、情報のグローバル化という大波が押し寄せ、「近代が生み出したもっとも精巧で有効な装置とみなされてきた国民国家」(野田宣雄『二十世紀をどう見るか』)が融解の危機に直面しているという世界史的な動きに加え、二十一世紀を目前に日本人にとって国家とはいかにあるべきかという根源的な問題を突き付けられているからである。」

●この基本認識には、おそらく多くのひとが賛同するだろうと思われる。しかし、ハイテク全盛の21世紀になっても、国家装置としての「日本」とは、きわめて面妖なものだ、という感覚がわたしには抜きがたい。その入れ子構造は二重にも三重にもなっており、行き着くところ、草の根にまで「日本という情念」が染み渡っている。まずもって「自民党」とやらの面妖さが、すばらしい、こんなすばらしい党はない、とわたしは絶賛したい!
グローバル化に対応し、国家としての可動性を増すべく「構造改革」が言われ、すでに五年。しかしなにが変わったのだろうか。どこを見ても、足はしっかりと、「日本という情念」におろしたままである。「改革なくしてなんとやら」の現政権が80パーセント以上の支持を得ているというその事態こそ、しぶときかな「日本という情念」のあらわれではないか。
そしてここにきて、アメリカを襲った自爆テロである。世界情勢を一変させたといわれながら、結局ひとかわ剥いてあらわれてきたのも、これである。先に掲載した櫻田さんの論文の「苛立ち」も、おそらくここに向けられている。
むろん桜田さんの唱える「国家」は、わたしなどのような床屋政談的なものではない。

「櫻田氏は、故・高坂正堯氏が腑分けした国家における三つの側面、すなわち『力の体系』『利益の体系』『価値の体系』概念を用いて国家の意味を再構成しながら、『民主主義とは多数の人々の合意、あるいは意志の上に立って、国家という名の『怪獣』を飼い馴らす制度』と断言する。/こうした観点に立てば、国家を「負の存在」としか見てこなかった戦後民主主義の議論は「『怪獣』を飼い馴らすことに伴う緊張感とは無縁の誠に御気楽なものだった」ということになる。」
「ここまではいわば序論である。「政策提言型知識人」たる櫻田氏の真骨頂は、国家を飼い馴らすために何をなすべきなのかについて具体的に提言したこのあとにある。
  そこで展開されるのは、統治能力を回復するため「名誉を願い国家を指導する」ことを自らの領分とする真の意味の「貴族制度」を復活することの必要性であり、国家としての役割を画定し国家制度に心棒を通すための内務省復活論であり、さらには「平等主義思潮への訣別」を図るための「富裕階級」の復活論である。
  これらはいずれも戦後民主主義が否定してきたタブーにほかならない。それゆえ本書に対しては必ずや「復古主義」の烙印を押す批判者がいるに違いない。しかし、虚心に読めば、埃にまみれた復古調の議論とはまったく異なることがわかる。政治の本質と歴史への洞察、伝統の重視に裏付けられた、私たちが陥っているステレオタイプ的思考を打ち砕く腰の低い論なのである。
(以下、略)

●櫻田さんもまた、復古主義であるとかアナクロである、とかの批判は百も承知だろう。わたしだとて、貴族制度や富裕階級が復活するとは思えない。しかし、書評者が述べるように、櫻田さんをもっとも突き動かしているモチーフは、「名誉」であり「誇り」であり「責任」という、メンタリティの回復である。その具体的処方箋として、貴族制度や富裕階級、内務省復活などを持ち出している。しかし、いってみれば、「日本という情念」の奥深さを逆手に取った、イロニカルな響きを、わたしはそこに感じ取るのである。
むろん櫻田さんは文学の徒ではなく、具体的な政策の提言を自らに課す政治学者である。イロニイなどという言辞をもてあそぶ暇はない、と言われるかもしれないし、政策提言者としての目論見や戦略はおありだろう。しかし「名誉」や「誇り」、「責任」といったものを、この国に取り戻すことがどれほど困難であるか、ということに少しでも思い至るならば、単純な復古主義だと斥けることができるのかどうか。


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