櫻田淳 講師紹介


掲載紙:産経新聞
(2001年9月15日)

「文明」と「野蛮」の間

櫻田 淳

  去る日本時間九月十一日夜、幾多の人々は、人類という種族が行い得る「野蛮」の極致を眼の当たりにすることになった。イスラム原理主義の影響下にあるとされる十数名のテロリスト集団は、四機の米国国内線旅客機を乗っ取った上で、ニューヨークにあるワールド・トレード・センターの二棟の建物とワシントンにある米国国防総省の建物を標的にして突っ込み、一部の報道によれば一万人にも迫るという数の行方不明者・犠牲者を出した。ジョージ・ブッシュ米国大統領は、「これは戦争行為だ」と言明した。米国議会上下両院は、「テロリズムに対する宣戦布告」を決議した。

  国際社会の大勢もまた、この蛮行を厳しく非難している。国連安全保障理事会は、事件翌日、緊急理事会を開き、件の自爆テロ行為を「国際社会の平和と安全に対する脅威」として強く非難する決議を全会一致で採択した。そして、北大西洋条約機構理事会は、米国の要請を前提として、機構の発足後初めて、集団的自衛権を発動することで合意した。また、各国首脳の発言の中で私の眼を引いたのは、ドイツのゲアハルト・シュレーダー首相の発言であった。シュレーダー首相は、連邦議会で演説し、件の自爆テロ行為を「文明市民社会に対する宣戦布告である」と非難し、「米国との無制限の連帯」を表明した。また、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領は、この蛮行を「文明に対する挑戦」と位置付け、「国際社会の共同対処」を呼び掛けていた。この事件を契機に、「テロリズムの否認」は、国際社会の「共通了解」として一層、明確に定着するようになったようである。

  ところで、現在、我が国では、この事件に対する対応を「対米同盟関係」の枠組で論じる雰囲気が濃厚である。しかも、具体的な対応に際しては、福田康夫官房長官が発言したように、「日本は日本国憲法の範囲の枠内で行動する」という余計な留保が、付いている。しかしながら、件の自爆テロが「文明市民社会に対する宣戦布告」、あるいは「文明に対する挑戦」であるという認識は、我が国においても広く共有されるべきであろう。事実、この事件が問い掛けているのは、われわれが、「文明」、あるいは「国家」という枠組を護る意志を備えているかということである。そもそも、「国家」という枠組は、魔女狩りや異端審問などに明け暮れた中世末期の凄まじい時代の後、人々が築いた「文明の所産」であった。昔日、我が国において「万国公法」と呼ばれた諸々の国際法規も、侵略戦争の否認という原則も、「国家」の枠組を前提にして成り立った「文明の所産」である。テロリズムとは、そのような「文明の所産」を根底から破壊する行為である故に、容認され得ないのである。

  戦後、久しい間、我が国の幾多の人々は、「文明の所産」としての「国家」の意味を理解しようとしなかった。我が国にとって、過去十年は、「国家」に絡む「文明の所産」を守る姿勢が、本格的に問われた歳月であった。湾岸戦争は、サダム・フセインによる明々白々な侵略行為を前にして、どのように我が国が対応するかが問われた最初の試金石であった。我が国は、実に百三十億ドルに上る資金提供を多国籍軍に対して行なったけれども、それは、正当に評価されるものとはならなかった。我が国の対応は諸外国に対して、「文明の所産」を守ろうという意志を鮮明に伝えるものではなかったのである。湾岸戦争時の我が国の対応に与えられた「一九九一年の敗戦」という評は、その意味では、誠に至当なものであろう。

  然るに、目下、テロリズムの明々白々な挑戦を前にしても、「憲法の制約」が当然のように言及される我が国の現状は、私には、件の自爆テロ行為以上の戦慄を覚えさせる。それは、我が国が徹底して臆病にして、自閉的かつ利己的な存在であるという印象を世界中に再び植え付けかねないからである。大体、現行憲法典第九条が禁止しているのは、我が国が他の「国家」との紛争を解決する手段として「国家」に対して一方的に武力を行使することである。とすれば、我が国が「国家」ならざるテロリスト集団に対して武力を行使しても、何ら不都合は生じないはずである。我が国は、そのようなことを憲法典に関する新たな政府解釈として導き出してでも、「文明の所産」を護る営みに積極的に乗り出すべきではないのか。そうでなければ、「一九九一年の敗戦」が、再現されるだけではないのであろうか。

  半世紀余り前、我が国の戦時指導者達は、極東国際軍事裁判に際して、「文明の裁き」の名の下に処断された。今日でも、その「文明の裁き」の意味を問う議論が、続けられている。しかし、今後の我が国は、その「文明」をこそ、護る側に立たなければならない。そして、その「文明」を護ろうという意志によってこそ、われわれは、戦後という時代の呪縛から脱することができる。「戦争」といえば「先の大戦」を想起する習性に囚われている間に、世界史の流れは、かくも急激に進んでいたのである。


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