橋爪大三郎 講師紹介


「こんなに困った北朝鮮」
橋爪大三郎 著
メタローグ 刊

主催者雑感 書評「こんなに困った北朝鮮」

佐藤 幹夫

●『こんなに困った北朝鮮』を初めて本屋で見たとき、わたしはちょっと呆気にとられた。思わず著者名を見直し、まちがいなくそこには、「テリー伊藤」ではなく「橋爪大三郎」と書いてあるのを確かめ、しばし佇んだ。「なんで橋爪さんが北朝鮮なの?」と感じたのは、わたしだけだったろうか。

そして「東京新聞」夕刊(2000年8月31日)、「自著を語る」のコーナーに書かれた一文を読み、なるほどそうだったのか、と思った。なるほど、どころではない。この発想の自在さ、ユニークさは、一体どこからくるのだろうと、しばらくのあいだ、新聞に掲載された橋爪さんのお顔を眺めいってしまったほどであった。

わたしは社会学なる学問には「うつけ者」である。だから独断で言うが、おそらく橋爪さんはすぐれた社会学者だろうと思う。社会学者のうえに、「一流の」とつけても、文句は出ないだろうとも思う。(文句のある方は、当掲示板へ出てこられたい。わたしは対応しないが・・・)。なぜ一流だと感じるのか。

手堅い仕事を手堅い発想で積み上げる労を、わたしは決してバカにはしない。そのようにして蓄積されていく「学問」の世界とやらにも、十分に敬意を払うものである。しかしその手堅さがときにスパークし、おおっ、と思わず声のでる発想の卓抜さに出合うときがある。(白川静然り。折口、柳田なんぞは、スパークのしっぱなしであったわけだが)。お前は何様なのだ、と言われるかもしれないが、30年も書物と付き合っていれば、火花が飛び散っているかいないかくらいの区別は、つくのである。(嘘付け、と思う方は、当アカデミーの講師の方々のお名前を、もう一度確認されたい。そしてできるならば、各方々の主著と目される著作を、味読されたい)。

わたしは自分が「目利き」であると自慢したいのではない。『こんなに困った北朝鮮』の着想に、驚いた、と言いたいのである。橋爪さんは、手堅い積み上げを本領とするだけの学者では、やはりなかった、と言いたいのである。

●「自著を語る」の書き出しは、

「なぜある日、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の本を書かなければと思ったのか。直感、としか言いようがない。そして私は、平壌に飛んだ。」

と、なっている。たぶん、これは本当だろう。著作の冒頭も、

「とにかく、北朝鮮に行くのだ!」

と、始められている。論理の厳密さや美しさを厳しく追い求めてきた橋爪大三郎が、「直感」と書いている。何かに突き動かされている。わたしは「直感」だけで書き散らすが、そんものとは訳がちがうのである。あのウィトゲンシュタインを徹底的に読み込んだ橋爪大三郎が、「直感」と言っているのである。これはただ事ではないだろう。

●さらに、

「北朝鮮は、日本にとって、『ずっと連絡の取れなかった腹違いの兄弟』だと思う。」

まったくその通りである。しかし、その通りのことを、わたしたちはすっかり忘れている。

古代3世紀、いや、5、6世紀頃まで、別々の国だなどと考えるのがバカげているほど、わが列島と半島とは、混ざり合い、溶け合っていた。人も、文物も。むろん、列島全域ではない。九州を中心として、中国地方、ひょっとしたら、畿内のいくらかでさえ、そうであったかもしれない。そのように考える方が、よほど自然である(自然である、というのはわたしの「直感」だが、この「直感」はおそらく正しい。本質直観、というやつだ・・・ちょっと違うか)。

ならば、なぜ「歴史」はそのように記さないのか。

「歴史」とは、つねにその国のアイデンティティーを確立するためになされる営みであり、そのためには「事実の捏造」さえ、ときとして平然としておこなうものである。(橋爪さんも、本のなかで金日成の捏造ぶりに触れている)。万世一系の元、いかに半島や大陸から自立した国としてあったか。古代史は、元をただせば、そこに行き着く。ときにそのことに異を唱える果敢な歴史学者が現れるが、彼はつねに異端視される。

むろん橋爪さんは、『こんなに困った北朝鮮』の中で、そうした古代史談義はしていない。しているのはわたしである。つい脱線してしまったこのわたしである。

しかし続けるが、「物部文書」「富士宮下文書」「東日流(津軽)外三郡誌」その他、古代史には偽史が存在する。なぜ偽史は偽史であるのか。実証性の名のもとに、アカデミズムからは完全にスポイルされているが、ならば「書紀」こそ偽史ではないか。そのような問いに対し、「書紀」は、「造作」はあるが偽史ではない、アカデミズムの歴史家はそのように言う。またある民俗学者兼評論家に、ほとんどトンデモ本扱いされた経験をわたしは持つ。

しかしさらに書くが、なぜ偽史は偽史であるのか。この問いは、通常考えられているほど、簡単ではない。たとえば、「もうひとつの日本の立ち上げ(=東北学)」などと言あげされているが、東北など、もう「ムラ起こし」の観光名所だらけになってしまった。東北学など、しょせん「牙」を抜かれ、博物館に飾られ、観光名所となるていどの歴史にしか過ぎない。そのようにわたしは断ずるが、それは、偽史への問いを、微塵も内在させないからにほかならない。なぜ偽史とされる「物部文書」が、東北の小さな神社に、いまだ全貌を明かされないまま守られ続けているのか。また「東日流(津軽)外三郡誌」が、たとえ風狂な一変人の所業であったとしても、そのように書かれねばならなかった東北の歴史とは何であるのか。やるんなら、「ムラ起こし」程度の歴史相手ではなく、もっと気合を入れてやってくれよ、ホント頭のイイ人のすることは・・・と、蝦夷の末裔であるわたしは、ますます脱線していく。

このままではいけない。話を戻そう。わたしは赤坂某ではなく、橋爪さんのことを書いていたのだった。

つまり、歴史への感度ということを、わたしは言いたかったのだ。さて、「腹違いの兄弟」と橋爪さんは書いている。このことに、解説はいるだろうか。いらないとは思うが、一応知ったかぶりをして書けば、父はむろん中国である。しかし北朝鮮はソ連という母から生まれ、日本はアメリカという母から生れ落ちた。生まれ落とされた、というべきか。(違いますか、橋爪さん。間違いでしたら、佐藤の知ったかぶりに一喝を)。してみると、なぜ中国が日本に「厳命」できるほど(「言明」では絶対にない)尊大なのか、わかろうと言うものだ。かの国は、日本など小心で、できの悪い放蕩息子くらいにしか考えていないのだ、きっと。それが、かの国の首脳たちの歴史意識である。彼らは、「ゴッドファザー」なのである。

●そしてさらに、橋爪さんは書く。

「戦後の日本は、アジアに背を向け、ひたすら経済大国の道をひた走ってきた。でも日本とは、どこからどこまでをいうのか。日本国憲法には書かれていない。本州、九州、四国、北海道、ならびに周辺の島々。ポツダム宣言とカイロ宣言が、そう定めている。戦争に負けた日本は、この範囲を、疑ってはならない境界とみなすことになった。」

ここらの感度が、たいへんに橋爪さんらしいところだ、そのようにわたしは思うが、いかがだろうか。とくに、日本国憲法を持ち出すところなど、ニクイ。敗戦や戦後処理の問題に発言する知識人たちの「法感覚」の鈍さは、つとに橋爪さんの指摘するところである。逆に言うならば、つねに日本国憲法を念頭において考えようとする橋爪さんの姿勢を髣髴とさせる。そしてまた、敗戦がもたらした「亀裂」(加藤典洋さんふうにいえば、ねじれ)の深さをさりげなく示され、つい、はっとさせられる。

●またさらに、

「敗戦を境に、台湾と朝鮮半島は、日本から独立した。独立後のあり方が不透明なままの見切り発車だった。人びとはそのため、独立と政治的自由をかけて、茨の道を歩むことになる。ことに北朝鮮は、今なお厳しい困難のまっただなかにある。」(略)。

「核開発を進め、ノドン・テポドンを打ち上げ、ハリネズミのような臨戦態勢をとっている北朝鮮。ミサイルの一、二発も飛んでくるのかもしれない。とんだ迷惑だが、もとはと言えば、かつての『同胞』が、半世紀あまり、独自の道を歩んだ結果だ。もうひとつの『戦後日本』が、そこにある。」

わたしはここで唸った。う〜ん。北朝鮮を「もうひとつの『戦後日本』」とするこの着想。わたしなどの「直感」とは、訳が違う、ものがちがう。やはり橋爪さんは、テリー伊藤ではなかった。東北を、「もうひとつの日本の立ち上げ」などと言あげして悦に入っている学者先生のお気楽さなど(しつこいね、わたしも)、ここには微塵もない。いや橋爪さんは、仏教を、確証し得ない「悟り」を訊ね合う言語ゲームとして読み解こうと発想したほどの人なのだ。いまさら驚くには値しないのかもしれない。

しかし、いったいこれまで、だれがそんなふうに北朝鮮を考えただろう。橋爪さんが言うように「日本では、北朝鮮のことをだれも真剣に、科学的に、責任をもって考えていない」のであり、それは「戦後日本の底の浅さ」だったのだ。わたしにも、ただただ不気味で、異物のようにしか思えなかった。「戦後日本の底の浅さ」、つまりこのわたしの「底の浅さ」であり、あなたの「底の浅さ」だということだ。これこそ歴史への感度の鈍さである。橋爪さんならば、もうひとつ、法に対する鈍感さを付け加えるだろうか。

●そして末尾。

「中国や韓国などアジアの人びとが、なぜ歴史を蒸し返し、いつまでたっても日本を許さないのか。それは、日本がかつて働いたかずかずの悪業のせいだが、それ以上に、日本人がいまなお傲慢さにどっぷり漬かっているからだ。福沢諭吉は「脱亜入欧」=遅れたアジアといっしょにされては迷惑だ、とのべた。戦後日本はアジアの存在を切り捨てた。もともとアジアの中心は中国で、韓国、そして日本の順番だった。日本は忘恩の国なのだ。成長をとげたアジアの国々と日本は、対等なパートナーを築くべきだが、簡単ではない。

日本にとってその第一歩が『こんなに困った北朝鮮』の実態を理解することではないのか。『かわいそうな隣国』の話ではない。戦後日本が、つぎの時代に脱皮するための、発想の転換ができるかどうかの正念場なのである。」

と、締めくくられる。つまり、「正念場」を「正念場」とするために差し出されたものが、『こんなに困った北朝鮮』だったということになる。本の作りもタイトルも、つい「テリー伊藤」を思わせるものになってはいるが、橋爪さんは、本気だったのである。この記事を読んで、慌てて本屋に買いに走ったわたしは、橋爪さんの本気ぶりが、よーく分かった。

さて本書へのわたしの感想を書かせていただくなら、この本を貫いているのは、「当事者性」ということばで言い表されるかと思う。他人事ではなく、まさに「我がこと」として、北朝鮮が語られている。「我がこと」のようにとは、危機意識の強さ、現実の事態の引き受け、ことに立ち向かおうとする責任、と言ってもいい。それが橋爪さんの歴史感度であり、北朝鮮を「もうひとつの戦後日本」だと語ることの内実である。またそのことによって、この本は強く特徴付けられているのだと思う。

おそらく橋爪さん以上に膨大な情報や知識を網羅し、緻密な理論で分析した著作は、今後書かれうるかもしれない。マニアックな知識を有する若き秀才たちはいっぱいいるのだから。わたしはその手の仕事の意義を、すべて否定するものではない。しかし、さほど驚かなくなったし、ありがたいとも思わなくなった。いま、わたしにとって重要なのは、いや、わたしばかりではなく、本当に読まれなくてはならないのは、そのテーマに、著者がどれだけの「当事者性」をこめて臨んでいるのか、それを感じさせてくれる著作なのではないだろうか。危機意識もなければ当事者性もない、凄んでは見せるが責任は取らない、知識と情報はやたらひけらかす、そんな「おしゃべり」が多すぎるのだ。

いいかげんにしろ!、と言われるのを覚悟で三度書くが、「もうひとつの日本」とやらを立ち上げて、それでどうするのだと聞きたいのは、ここである。東北の歴史や民俗の掘り起こし、大いに結構である。しかし明治初頭、熊本のある自由民権論者が「白河以北ひと山百文」とほざいたその一言の方が、わたしには東北学などより、はるかに重要である。そのことに思いの至らない東北の歴史など、単なる情報の集積に過ぎない。

橋爪さんは、そうではなかった。いま、いかに強い危機意識をもって、この日本という国に臨んでいるか。「こんなに困った北朝鮮」とは、「こんなに困ったわがニッポン」ということでもあったのだ。

●さて、これで終わるならば大団円。

しかし、これだけで話は終わらないのである。終わらないのが橋爪大三郎である。

橋爪さんの言う「正念場」とは、何の「正念場」であったか。「つぎの時代に脱皮するための、発想の転換ができるかどうかの正念場」であった。

「発想の転換」ができるかどうか。いま、わたしたちが立ち会っている時代の核心は、これである。国内の問題はもちろん、アメリカを襲ったテロ以降の、世界情勢とやらの問題もまた、このことが問われてくるだろう。まさに正念場である。ならば、正念場に臨んで、橋爪さんご自身は、「発想の転換」を、どんなかたちで示してくれているのだろうか。

『こんなに困った北朝鮮』において、北朝鮮をよく理解し、アジアの国々との、対等なパートナーの関係を築くべきだと力説された。北朝鮮という着眼に、まず「発想の転換」を見ることができるが、わたしが言いたいのはそのことではない。

橋爪さんは、加藤さん、竹田青嗣さんとの鼎談集、『天皇の戦争責任』において、「天皇に戦争責任はない」と主張され、また首相の靖国参拝をめぐっても、「は憲法上の問題は、とくにない」と、断じられた(「諸君!」10月号「首相参拝は合憲である」)。これまでの発想ならば、(1)アジアの国々との、対等なパートナーの関係を築くべきだ、という主張は、(2)天皇の戦争責任を詫び、首相の靖国参拝などもってのほかだ、と接続されるはずであった。橋爪さんの、(3)天皇に戦争責任はない、靖国参拝も(憲法上とは言え)問題はない、というこうした発言こそ、アジア諸国から、傲慢と受け取られ、猛反発を招くところの当のものであったはずである。

(1)から(2)ではなく、(1)から(3)へ。おそらくここに、橋爪さんの「発想の転換」の端的な現われがある。このことをどう理解するか。それは、橋爪大三郎という表現者を理解するうえで、たいへんに重要である。そのようにわたしは思うが、いかがだろうか。

●さて、わたしの第一回目の紹介は、ここで終える。ここまでお付き合いくださった方は、なんじゃ! と思われるかもしれない。時間を経て後、またこのコーナーをのぞいていただければ幸いである。そしてもしどなたか、論じてくださるならば、ぜひ掲示板を使ってご参加いただきたい。ここがどうつながるか。それを解くことは、あなたやわたしが「次の時代に脱皮するための、発想の転換」にとって、あるいはひとつの試金石かもしれないのだから。


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