橋爪 大三郎
本書の焦点は何と言っても、障害をもつ人びとといかに正しくつきあうかであろう。小浜氏と対談する桜田氏自身が、気鋭の政治学者、そして重度の身体障害者だからだ。
桜田氏は言う、障害者が《権利を行使し、義務を履行するための仕組み》をきちんと具体的に作るべきである。国が必要な助力を与えるとしても、働けるだけは働き、納税そのほかの義務も果たすべきである。体験を踏まえて、ずしりと重みのある発言だ。小浜氏も《障害者のやったことだから、価値のあるものに決まっている》という裏返しのタブー意識を「乙武現象」として批判する。
障害者のほかに女性、子ども、高齢者、外国人など「弱者」とされる人びとについて議論が進む。両氏に共通するのは、自らを弱者に重ね合わせ、人権をふりかざして国家を批判しながら、その実は国家に依存する人びとを大量に生み出した、「戦後民主主義」へのいきどおりだ。
「弱者」は、国家を相対化できる特権的な存在なのか。そのはずはない。「弱者」にかこつけて国家を批判するひまに、市民の権利と義務を明らかにし、国家と市民の関係を再構築しようと、両氏は提案する。
こうして、たとえば「小人プロレス」は、障害者の自立した職業である限り、認めるべきだ。「ゆとり教育」より、基礎をみっちり習得させるほうが先決だ。男女の違いを完全になくせばよいとする「男女共同参画法」は誤りだ、などの結論が導かれる。
対談は荒削りで、論点があちこち飛び、ときに危なっかしい論法も目につく。桜田氏によれば《日頃の節制と自制とは無縁の、「放談」の書》なのだそうである。でも、そんな自由なやりとりだからこそ、行き詰まった偽善的な戦後民主主義をその先に乗り越えるヒントもみつかる。この次はぜひ、両氏がそれぞれこれらの問題とじっくり取り組む、単著を読みたいと思わせられた。