小谷野 敦
もう十年くらい前のことだろうか、総合雑誌などに文章を書いている人の肩書が、「なになに大学教員」となっているのを初めて目にしたのは。おや、何だろう、と思ったのは、当然、ふつうは「教授」「助教授」などとあるべきところだからだ。どうも注意していると、京都のほうのさる私立大学の人がこの表記をしているようで、この大学は教授、助教授といった区別をしない方針なのか、と思って、その時は納得した。それはそれで、いいことだ。
ところがその後、特にその大学でなく、紛れもなく教授、助教授といった区別がある大学の教員まで、「なんとか大学教員」などと書いているのを目にするようになってきた。となると、これは書き手が、教授とか助教授とか「身分差別」をするのは良くない、というので自主的に選んだ肩書きなのだろう。
そう考えると、まず、何だか偽善的だな、と思った。だいたい彼らは、ほんとうは教授だったり助教授だったりするのだが、そんなことをするくらいなら大学名そのものを出さないで「なんとか学者」にしておけばいいだけのことではないか。
だいたい、これがどう偽善的かは、非常勤講師をして専任の職を探している学者の立場に立ってみれば分かる。非常勤はたいていいくつかの大学を掛け持ちしているが、仮にひとつだけだとしても、「なんとか大学教員」とは書きづらい。それでは専任のようだからである。専任でなければ「教員」とも書けないのに、どこかの専任という、この非常勤をしている者から見れば既にして恵まれた立場にいるのに、差別はなしですよ、というのもおかしな話だ。専任をやっている以上、非常勤だけで糊口を凌いでいる学者たちを「抑圧」している、「特権階級」なのである、あなた方は。それを「教員」などという偽善的な表現でごまかそうとしているとしたら、許しがたい。もしわざわざ「教員」と書きたいのなら、なぜ「英文学者」や「社会学者」ではいけないのだろうか。総合雑誌の広告などが新聞に出ると、執筆者の名前の脇に肩書きが出ている場合がある。もちろん本そのものにはたいていついているのだが、広告の場合、小文ならそんなものはつけない。ところが、大きいものから小さいものまで、新聞広告にまで執拗にその執筆者の所属大学名を書き込まずにはいない雑誌がある。岩波書店の『世界』である。『世界』といえば、保守系の多い総合雑誌の世界では、左翼の最後の砦とも言うべき雑誌である。その雑誌にして、これはまた何という権威主義であることか。執筆者名の下に「東京大学」と書いてあったら、この人はエライのですよ、とでも言うつもりなのだろうか。「教員」などと書くくらいなら、『世界』こそ率先して、肩書き廃止を実行したらいいではないか。
ところが、数年前から、国立大学の大綱化が進められて大学院大学になってくると、これとは逆に「東京大学大学院教授」などという肩書きを用いる人が現れた。これまた、初めて見たときは、何だこれは、と思ったもので、もし当人が、やめてください、と言っているのに編集者が勝手につけてしまったというのならやむをえないが、どう考えてもご本人が選んでいるとしか思えないのもある。しかも、別にこれは正式名称だからやっているのだというわけではない。だいたい「大学院教授」などというのは正式名称ではなく、たとえば「東京大学社会学研究科教授」が正しいのだし、もっと正確に言うなら「文部教官教授」なのだ。大学院大学になったということは、大学が大学院を中心にしたということであって、アンダーグラジュエットのほうがつけたりになるということなのだから、「東京大学教授」でいいのである。最近ではまことに丁寧に「○○大学大学院○○研究科教授」などと書く人もいる。先の偽善と逆に、そうまでして自分をエラク見せたいのかと、こちらの権威主義には呆れるほかない。
私がかつて奉職していたのは大阪大学の言語文化部というところで、基本的には語学教師の集まりで、独立大学院として言語文化研究科というのがあるにはあるが、これはこちらがつけたりだから、組織上大学院直属になっている人以外は、阪大教授といえども「大学院教授」とは名乗れない仕組みである。けれどその隣にある文学部の教官なら全員、大学院教授等になるわけで、ただでさえ「しがない語学教師」の悲哀を感じている者らを尻目に「大学院教授」を名乗るとは、イケズなことであるものよと、思うほかないのである。
私とて相応に俗物であるから、死ぬまでには一度でいいから「教授」と名乗ってみたい、それもあわよくば一流と言われるような大学名のあとに「教授」とつけてみたいと、同年輩の者たちが私立大学などでもう教授になっていたりするのを見るにつけ、しみじみ悲しい思いをするのであるが、さるにても世が世なら書生や女中を置いて家庭でも「先生」と呼ばれるはずの学者たちが現代では学生の機嫌取りに憂き身をやつさねばならず、自意識がおかしくなってしまうのは分からないではないが、尋常に「○○大学教授」でいいではないか。